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    December 30

    25thAnniversary

    クリスマスのために色々と仕込み、
    彼女と浮かれていたら、あっちゅーまに年末になってしまった・・・。
    小説を書きつつ、映画を見たり、ギターを弾いていたので
    ブログ更新を忘れていた。
    このままだと「僕は変態」で2006年、終わってしまうので、
    これは非常にとっても、かなり誤解を招くので、
    ここは一つ、しっかりと締めるとこは締めておこうと思う。
     
    今年で僕は25になった。四半世紀である。
    大げさな、と思う方もいらっしゃるかもしれないが、
    25年生きるというのは決して簡単ではない。
    当たり前のように生きていると思っているのは大間違いだ。
    25年間、特に怪我も無く、大病もせず、
    ひょろひょろと成長できたのは、実にありがたいことだ。
     
    25年を振り返ると、僕は幸せな人間であることに気づく。
    ちびっ子時代はおもしろおかしく過ごしてきた。
    小学生になって、いじめたり、いじめられたりしてきたけれど、
    今ほどひどくはなかった。
    Rockに出逢い、そのまま中学生になり、
    ギターを弾くことを夢見て、恋に憧れて、
    世間から少し浮いてはいたけれど、
    自我を持ち、体制に流されることに疑問を持ち、
    高校を退学。
    一年間、本を読み、音楽を聴き、GIGへ足を運び、念願のギターを手にした。
    そして定時制高校へ。
    そこで人間関係の難しさ、大切さを学び、
    一人の親友を得た。
    そして恋もした。
    僕は死ぬまで童貞なんじゃないか?という悩みも無事に解決した。
    同時に、恋の難しさと、女性の裏も見た。
    本当の孤独も知った。
    そしてギターを学ぶために専門学校へ進み、
    己の未熟さを知った。
    同時に人生の伴侶となる女性に出逢った。
    それからは愛する人と暮らしていくための努力をしてきた。
    色々な仕事に就いて、辞めてを繰り返して
    自分が、いわゆるホワイトカラーに向いてないことに気づいた。
    一途に愛する人のことだけを想っていると自分で思っていたけれど
    そうじゃない時もあった。
    一度だけ、恋に堕ちかけた。
    そして煩悩を断ち切るすべを知った。
     
    今、こうして小説家を目指して、日々、精進できるのも、
    親の理解と、愛する人の理解あってのもの。
    幸せだ。
     
    カズへ
    Rockに導かれ、今まで共に過ごしてきた。
    俺らにとってRockは生き方、考え方になっている。
    カズとJamるのが楽しみで仕方ないよ。
    ま、唯一、心配なのは女っ気の無さだけど、
    そればっかりは時間の問題だから、見守ってるよ。
    いつでも相談にのるよ。
     
    メグへ
    俺の周りで最も早く家庭を持ったね。
    小学生のころから、ずっとボーイスカウトで苦楽を共にしてきた。
    今じゃすっかりいいパパで良き夫。
    これから先の人生、お手本にさせてもらうよ。
     
    兄ちゃんへ
    布袋のGIGで知り合って、すぐに仲良くなれたよね。
    一緒にJAMったり、相談に乗ってくれたり。
    そんな兄ちゃんが結婚して、素敵な家族に出逢えたことは、自分のことより嬉しかったよ。
    これからも兄ちゃんでいてね。
     
    チャマへ
    チャマと出逢ったのも、布袋のGIGだったね。
    一緒にJAMったら、グレッチやゼマティスコピーモデル、
    ついにはホワイトファイアー持ってきてさ。
    驚いたのなんの。
    何しろ俺はレフティーだから、シグネチャーモデルが一切、買えない。
    俺の憧れているギターを目の前で弾いて、音を聞かせてくれるチャマは
    一番身近な、ギターヒーローだよ。
    また近いうちにJamろうね。
     
    Keep on Rock!Dear My Friends!
     
    最後に
    僕が本気で恋した女性へ
    北の果てで暮らしてる貴女
    高校を出て、どこに行ったかわからない貴女
    同じ横浜で、職場で出逢った貴女
    どうか幸せになってください。
    いつかどこかで、また出逢った時は
    もう振り返らないから。
     
    My Sweet Sugar Honey Baby Angel
    いつも傍で
    微笑んで
    支えてくれる
    愛してるよ
     
    それからこのブログを読んでくれた方へ
    ありがとう。
    2007年が貴方にとって良い年になることを願っています。
     
    それでは皆さん、良いお年を・・・
    December 13

    変態だった(一部エロティシズムな表現があります。ご了承ください)

    夜、テレビをつける。
    バラエティ番組でグラビア畑の女性が司会者に尋ねられている。
    「○○ちゃんはS?それともM?」
    「○○ちゃんは何フェチ?」
    まぁ最近、当たり前のようになった質問をする。
    女性も
    「え~私は~Mかな~」
    「私って~めがねフェチなんですぅ」
    と簡単に答える。
    たぶん、誰もが一度は耳にした事のあるやりとりだと思う。
    僕は合コンに行かないから知らないけど
    同じような会話がされてるかもしれない。
    日常的なやりとりになっている。
    けど、僕はこの会話は、ド変態がする会話だと未だに思っている。
     
    「サディズム」というのは、ご存知の方も多いとは思うけど
    フランスの作家、通称「マルキ・ド・サド侯爵」の名に由来する。
    この人はいわゆる名家の出身で父は伯爵である。
    しかしながら1768年に女性虐待事件を始め、
    スキャンダル、筆禍事件などで何度も監獄生活を送った。
    最終的にはシャラントンにある精神病院で一生を終えたという破天荒な生き方をした人物である。
    この人は当時としては珍しい無神論サイドから物事を見ていた。
    従って既成概念、既成道徳を超越したエロティシズム哲学を持っていた。
    おそらくこういった人物背景が元となり、「サド」すなわち「S]という単語が生まれたのだろう。
    ただ、今の時代、「サディズム」という言葉の本意を知った上で使っている人はどれだけいるのだろうか。
    「サディズム」の概念とは、いわゆる異常性欲であり
    異性を虐待、肉体的、精神的に苦痛を与えて性欲が満たされるという性癖のことで、
    軽い人は、鞭打ち、緊縛、言葉による陵辱などで済むらしい。
    しかしながら、
    快楽殺人、死姦、放火などの超異常性癖の人もいるわけである。
    つまり「ドS」とはこういう人のことを言うわけである。
    対する「マゾヒズム」の方々というのは、「サディズム」の軽い症状の方々に扱われるのを好むタイプを言う。
    語源はオーストリアの作家、ザッヘル・マゾッホが書いた小説にいわゆる「マゾヒズム」傾向の人物を描いたことに由来する。
    「マゾヒズム」の人というのは、鞭で打たれたり、縄で縛られたり、言葉で責められるとオルガスムスに達する人なのであって
    決して、殺されたり、死姦されたり、なんてことは望んでいない・・・と思う。
    すなわち「ドM」とは、あくまで虐待されることを望む人のことをいう。
    従って、「ドS」の人と「ドM」の人が性行為に至った結果、
    「ドM」の人が死んでしまったという事例は結構ある。
    海の向こうの話ではない。日本でもざらにある。
    江戸川乱歩の代表作、「D坂の殺人事件」は、この「SとM」についてよく描いている。
     
    つまり、気軽に「私~超Mなんです~」と言って、たまたま知り合った相手が
    本当に「ドS」で殺された挙句に、食われちゃっても、文句は言えないわけである。
     
    フェチ、正確には「フェティシズム」
    元々はポルトガル語で護符や呪具を意味するフェティソという言葉から来ている。
    この「フェティシズム」という言葉には意味がいくつかある。
    さまざまな分野で用いられる言葉なのである。
    宗教学においては、材質は問わず、持ち運びできる程度の物体に、超自然力が宿るとする信仰を「フェティシズム」と呼ぶ。
    心理学においては、異性の髪の毛や爪、排出物、衣服などに異常な愛着と興奮を示す性的倒錯のことである。
    経済学では、物神崇拝と訳し、人間関係が物的関係に転化してしまう資本主義経済の性格を特徴づけるため、マルクスが用いた言葉。
    そして、この3つは人間本来が持つ、シンボル化能力に基づく点で共通しているため、ありとあらゆる文化に通底している本質的現象という考えもある。
    ものすごく難しく書いたのは、百科事典からの丸写しだからである。どうかご容赦願いたい。
     
    こうやって「フェティシズム」を辞書で引いてみると、今、一般的に用いられている「フェチ」とは
    心理学で用いられている「フェティシズム」であることが分かる。
    たまに「フェチ」の語源は「フェティッシュ」だという人もいるが、
    「フェティッシュ」というのは、護符や呪具などの呪術的効果のあるものの意味であるため、
    正確には「フェティソ」が正しい。もっとも、意味としてはどちらも同じなので間違っているわけではないけれど。
     
    さて、この「フェティシズム」だけれども、こうやって読んでみると、かなり異常である。
    髪の毛、爪、排出物、衣服。
    つまり、異性自体よりも、個々のパーツに異常な興奮を覚えるわけである。
    要するに、爪を見てオルガスムスに達したりできるわけである。
    衣服というのがまぁたまにお見かけする下着泥棒さんなのだろう。
    わからないではない。下着というのは、肌に密着しているわけで、
    まぁ布切れ一枚の先には禁忌が隠されているわけだから。
    女性の下着泥棒が現れないのが不思議だが・・・。
     
    「フェティシズム」というのは男性に多い気がするのは僕だけだろうか。
    女性の下着泥棒がいないのを始め、男性の髪の毛を切る女性の通り魔というのも聞いたことが無い。
    男性トイレに隠れていた、もしくは盗撮していた女性というのも聞いたことがない。
    往々にして、本来の「フェティシズム」を持っている男性は、女性から
    「キモい」とか、「あり得ない」という冷たい視線を送られるか、逮捕されちゃうかのどっちかである。
    そうなると男性が「フェティシズム」により快楽、オルガスムスを得るためには、女性に理解してもらうしかないのである。
    男性はどういうわけか、性欲に関して、苦労することが多いのだけれども、
    こういった性癖などを持っている人は、二重の苦労を味わっているのだと思う。
    もっとも、同情はしないけれど。
    犯罪行為に至るような性癖は危険でしかないし、迷惑である。
    生まれ持った性癖というのは存在しない。
    その人が、成長していく過程で、何かのきっかけがあって、異常性癖になるのだから。
    我慢するか、理解ある人を求めるか、病院に行くしかない。
     
    さて、これを読んでくださった紳士淑女の皆様。
    貴方は本当に「サディスト」ですか?
    貴方は本当に「マゾヒスト」ですか?
    貴方は本当に「フェティシズム」な部分をお持ちですか?
    もし、そうではないなら気軽に使わないほうがいいですよ。
    気軽に用いた代償が「死」につながるかもしれませんから・・・
     
    「ちなみに僕は小学生時代から江戸川乱歩を読み耽っていたので
    変態になりました。
    女性の「ふくらはぎ」と「下着」に興奮を覚えます。
    「サディスト」でも「マゾヒスト」でもありませんが
    江戸川乱歩の「芋虫」を読むと性的興奮を覚えます。
    と、言うと周りから偏見や冷たい視線を浴びるんです。」
    けど
    「ん~ふくらはぎフェチかな。あとはちょい下着フェチ。
    「S」でも「M」でもねぇけど、あえて言うなら、やや「S」かな。
    乱歩の世界観は好きだね。変態っぽくて。」
    というと、風当たりが弱まります。
     
    オブラートに包んだほうが良いときと
    包み隠さず話したほうが良いときと
    きちんと把握していないと難しいですね。
    世の中に色んなことが、浸透したおかげで
    僕は変態なのに
    「変態だった」になってしまいました。
    いいんだか悪いんだか・・・
    December 11

    ちょっとした贅沢

    僕の視力は2.0。少なくとも1.5はある。
    コンタクトレンズ、めがねともにご縁のない人間だ。
    まぁいつかは老眼鏡をかけるだろうけど・・・。
    そんな僕はアイウェアをたくさん持っている。
    サングラスもある。
    ちゃんとこだわりがある。
    サングラスはレイバン。
    2つ持っているけれど、程よい重さと、顔にフィットする感じがいい。
    何より、フレームアウトしないので夏も冬も重宝する。
    日差しがきつい昼も夕方も、レイバンのおかげで楽勝である。
    値段はちと高かったけど・・・。
    アイウェアは去年、奮発した。
    憧れのアラン・ミクリを買った。
    スーツを着ているときにはかかせないアイテム。
    かけているだけで、ものすごくインテリに見えてしまう。
    けど、本当は馬鹿だから黙って佇んでいるのが良い。
    スーツより高いけど、なんだかスーツまでいいものに見えなくもない。
    こういうのを贅沢と言うのかな・・・

    知るは地獄、知らぬも地獄

    「知らぬが仏」という言葉なら、一度は耳にしたことがあるだろう。
    よく使う、ことわざだと思うのだけれども、
    果たして正しい意味は知っているだろうか?
    多くの場合、「知らないほうが幸せだ」みたいなニュアンスで使っている人が多いと思う。
    余計なことは知らないほうがいい。
    これは間違った使い方なのだ。
    正確には「当人だけが知らずに平気でいる様を憐れみ、嘲っている」
    ということらしい。
    つまり知らぬが仏の精神論を説く人は自虐的というわけだ。
    同じようなことわざで
    「知らぬは亭主ばかりなり」というのがある。
    これも同じような意味で
    「女房の浮気をみんなが知っているのに、知らないのは当の亭主ばかり」
    という意味で、同じく憐れみやからかいに用いる。
     
    知らないほうが幸せだという言葉は基本的にはない。
    必要なかったのだと思う。
    「知らぬが仏」の解釈が変わったのは
    近代政治になったからこそだと思う。
    何より、教育が行き届いて、一般人が政治、経済に興味を持った結果だと思う。
     
    人は知識欲を持つと、もっともっと知りたくなる。
    書物をあさり、読み耽り、造詣を深める。
    政治だろうが経済だろうが興味を持ったものへは、一種の執着が生まれる。
    学者、ジャーナリストなどなど。
    しかしいつの日からか、人は全てを知ることが許されなくなった。
    人はマスメディアから発信される情報のみしか与えられなくなった。
    そう、僕らは与えられた範囲でしか物事を把握できなくなっている。
     
    僕らがマスメディアを通して見ている世界。
    それが100%真実ではないと知るべきだ。
    マスメディアに伝わる情報がすでに一握りの情報に制約され、
    さらに制約されたものを僕らは受けている。
     
    アメリカ、ロシア、中国、日本、どこでもそうだ。
    「本当のこと」は誰も話さない。
    話せばパニックになる。戦争になる。
    全ての人々が不幸になる。
    知ることで地獄となる。
     
    されど
    知らぬもまた地獄だと知るべきだ。
    今もチベットは中国による侵略が続き、
    ロシアでは今、暗殺が表沙汰になり、世界が動揺している。
    アメリカはイラクから手が引けず、かえって混乱をひどくしている。
     
    日本は安泰だ。
    否、すでに極めて危険な状況下にある。
    北朝鮮と一触即発状態にあると考えたほうがいい。
    この国の国防能力は、アメリカあってのものだ。
    北朝鮮のことを馬鹿にしていれば、確実に痛い目にあう。
    無論、戦争を避けるために、話し合いの場が作られるわけだが
    現実的に、和解できるとは言いがたい。
    これはもちろん空想である。
    与えられた情報から推察したに過ぎない。
     
    現実を知ったとき
    僕らは地獄を見るのかもしれない。
    今、何も知らない地獄以上のものを。
    世界平和とは、人類が絶滅して、なし得る業かもしれない。
    December 02

    恋愛談義

    もう早いものだ。師走になった。
    小説の締め切りは年内。
    もちろん、自分で決めた締め切りだけど、だらだらとしないために、
    いわば戒めとして、締め切りを作った。
    ブログを書く時間も、減るだろう。
     
    今、自分は恋をしていない。
    もう長いこと、恋はしていない。
    2年くらいはしていないと思う。
    なぜなら、僕には愛する人がいるから。愛してくれる人がいるから。
    だから、恋をする必要性がない。
    ただ、恋というのは、通り魔みたいなもので、
    ある種、避けられないものだとも思っている。
    今、互いに愛し合っている状況が、かれこれ丸5年。
    その時間の中で、一度だけ、恋をした。
    悩んだ。
    自分の表面、相手の表面しか、知らないし分からない人と、
    自分の底辺、相手の底辺まで、分かっている人。
    下賎な言い方をすれば、
    「どちらが自分にとって有意義な存在か」
    という感覚だった。
    結果的には、今、横で眠っている、愛してくれている人を選んだ。
     
    僕には友人が4人いる。4人しかいないとも言える。
    みんな、親友だ。
    「100人のメル友より、一人の親友」
    というのが、自分の友人としての定義。
    長いこと会っていなくても、会った瞬間、その空白が埋まる存在。
    互いの趣味について、考えについて、語り合える存在。
    必然的に女性は必要なくなる。友人としては。
    僕にとって、女性とは、愛する人か、顔見知りかの二択しかない。
    従って、僕は恋をするというより、落ちるとか、襲われるという表現が正しくなる。
    要するに一目惚れが多い。
     
    人間というのは、複雑怪奇で、理解するのが難しい。
    上っ面だけで生きている人もいれば、
    全てをさらけ出して生きている人もいる。
    ただ、たいてい、女性は、内面をかなり深い部分にしまっている。
    だから女性の外見というのは、正直、あまり興味が無い。
    性格だって、偽れるわけで、あまり信用ならない。
    こんな風に書いていると、まるで女性不信に思われそうだけど、別にそういうわけじゃない。
    ただ、人よりも、視点が違うというか、深く見るクセがあるだけだ。
     
    僕自身、人に対しては、かなり高い壁を作る。
    外弁慶とでも言うべきかな。
    女性に対しては、さらに高い壁を築いて、自分を演じていたりする。
    仕事場で僕は、「仕事場の自分」を演じているわけだ。
    女性というのも、演じていると思う。
    かわいい、セクシー、お姉さん、ぶりっこ、クールetc・・・
    挙げればきりがない。
    人間は、よりよく見られたいから、自分を演じたりするわけだけれど、
    女性のほうが、その傾向は強いと思う。
    つまり、普段、何気なく接している女性というのは、ある種、表面的な、ごく一部でしかない。
    男性は本能的にそれを察して、その人の本質を見出そうとする。
    もちろん、簡単には見えないから、あれやこれやと知恵を絞るわけである。
    そうやってようやく見えた本質が自分の想像と裏腹だとご縁が無かった状態になる。
    もしくは、愛し合う状態になれる。
     
    演じている、と表現したけれど、終始、演じている人なんかいない。
    時々、本質が見え隠れする。
    僕はその一瞬を垣間見たとき、恋に落ちる。
    もしくは興味を失う。
     
    僕は恋に落ちると厄介な性格だ。
    とにかく相手のことが知りたくなる。
    趣味、好きなもの、好きなこと、性格、とにかく全て。
    そして押しまくる。猪突猛進である。
    周りの迷惑顧みず、相手の気持ちもいざ知らずである。
    たぶん、いい迷惑だと我ながら思う。
     
    僕が告白をするとき、
    「貴女の事が好きだから、付き合ってください。」
    とは言わない。
    ただ
    「貴女の事が好きです。」
    としか言わない。
    どうも「付き合ってください」というのが、厚かましく感じるからだ。
    好きになるのは勝手だけれど、付き合うとなると、相手の感情も必要になるからだ。
    だから僕は自分の気持ちを伝えることしかしない。
    その時に、同じ言葉が返ってくれば、幸せ。
    それくらいにしか思わない。
    あとは「ありがとう」でも「ごめんなさい」でも「は?」でも何でもいい。
    自分が好きという気持ちを伝えたら、それで落ち着くから。自分勝手だけど。
    もちろん、「付き合えたらいいな」とは思っている。
    けれど、決定権は相手にあると僕は思っているから、自分からは、あまり口に出さない。
    たぶん、確信が欲しいんだと思う。
    フラれる確信でも、付き合える確信でもいいから、とにかく確信が欲しいんだと思う。
    臆病だから。
    中途半端が嫌いだから。
    「お友達でいてほしい。」
    「このままの関係でいいんじゃない?」
    お断りである。
    このままの関係がイヤだから、辛いから、気持ちを伝えるのに、
    その結果が、現状維持だったら、それほど面倒なものはない。
    だったら、自分から身を引く。
    考える時間が欲しくて、そういう表現をする人もいるようだけど、
    もしそうならば、そう言えばいい。
    「考える時間をちょうだい」
     
    愛し合って丸5年も経つと、いつまでも一緒にいる秘訣みたいなことを聞かれたりする。
    そんなものはないのに。
    ただ僕は、自分の考え、行動、基準、価値観といったあらゆることを彼女に伝えた。
    そして、彼女にも同じ事をするように伝えた。
    だからまぁあえて言うなら
    「思ったことは必ず言う。不満はすぐに改善するように言う。ケンカになったら逃げずに話し合う。」
    という感じ。
    これだけで、ずっと一緒にいるから、あとは個々の性格次第。
    よく、ケンカをしないカップルというのを耳にするけれど、
    その境地に至るまではたぶん、4年はかかると思う。
    そうじゃなければ、お互い、不満やストレスを抱え込んで、表面に出していないだけだと思う。
    要するに、ケンカをしないのではなくて、ケンカを避けているだけ。
    だから、結局、ケンカになったとき、お互いの口から、とんでもない言葉が飛び出たりする。
    本音が出るだけなんだけど。
    相手がカッとなったときこそ、自分は冷静にならなくちゃいけない。
    自分もカッとなったら、収まるものも収まらない。
    難しいかもしれないけれど、もし、相手がカッとなったら、
    冷静に、相手の要求なり、不満を聞いてあげることだと思う。
    そして自分を省みる。
    改善すべきところは改善する。譲れない部分は、譲れない理由をきちんと話す。
    それでも収まらなければ、それはご縁が無かったと諦める。
    「いかに相手の気持ちを理解したいか?」
    そこが大切なんだとおもう。
    そして不満を言ってくれるうちが花だと思った方がいい。
    「最近、不満言わないなぁ・・・」
    なんて思っていると、突然、別れがやってきたりするものだ。
     
    後悔のない恋愛をしたければ、全力を注ぐべきだ。
    全力で相手にぶつかって、砕け散るか、華になるか。
    二つに一つしかない。絶対に。
    そして、「恋」と「愛」は別次元のことだと、きちんと理解しなければならない。
    僕にとって「恋」は動詞である。
    恋はするもの。恋する、落ちる、襲われる。
    独りでも成立する。だって相手の気持ちは関係ないから。
    心の奥底でも恋はできる。
    「愛」は形容詞かな。
    愛し合っている状態を表すわけだから。
    愛している、愛されている。僕には状態に思える。
    そして絶対に独りでは成立しない。
    愛し合うとは言うけれど、恋しあうとは言わない。
    気づいたら、相手のことが何よりも大切で、かけがえのない存在になっている。
    それが「愛してる」という状態。
    だから、僕にとって「愛」は形容詞。「恋」は動詞なんだと思う。
     
    「心」が「変わる」と「恋」になる。
    その「恋」する「心」を「受ける」と「愛」になる。
    すべては心。
    人間の本質があってこその「愛」
    喜怒哀楽、全てを共にしてこそ、
    愛し合える。
    そして幸せに近づける。
     
    ただ、人生は恋愛だけじゃない。
    他にも情熱を注ぐべきものはたくさんある。
    自分の本質、「軸」となるべきものが
    もし「恋愛」なら、あなたの人生は、とてつもなく、つまらないものになる。
    恋愛至上主義なんて、この世には存在しない。
    メディアが作り上げた戯言に過ぎない。
    それだけは伝えたい。