しんたろう's profile一途バカPhotosBlogListsMore ![]() | Help |
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December 26 Merry因果応報恋人からクリスマスプレゼント。
牛革の財布をもらった。
僕は財布を買ったことがない。
なんというか、お金を入れるものにお金をかけたくないという
非常にケチな性格なので、
前にお付き合いしていた女性から頂いた財布をずいぶん長いこと使っていた。
財布に罪は無いから。
けど本当にボロボロだったから、
恋人からのプレゼントは本当に嬉しい。
去年は何もプレゼントできなかったから、
今年は奮発してホームベーカリーをプレゼントした。
パンが大好きな人だから、喜んでくれた。
クリスマスの夜、僕らは久々に観覧車に乗った。
若干、僕らより若いカップルと1時間少々、並んで待つ。
空から見る横浜はいつもより綺麗で、満月に手が届きそうな錯覚すら覚えた。
寒かったけれど、見慣れた景色が別世界のようだった。
恋人と過ごす7回目のクリスマス。
もう7回目なんだなぁと我ながら感動した。
僕は幸せ者だ。
さぁハードロックカフェでディナーだ!
…という時に襲ってきてくれちゃった頭痛。
結局、自宅でディナー…。
そして今日は朝からシャレにならない頭痛に襲われる。
記憶寸断。
何か罰が当たったのかなぁ…
ようやく落ち着いたのでPCを開く。
読者の皆さんをからかったバチだろうか…
トロイの木馬が出てきた…。
凄まじくPCが重くなっちゃったので、手作りケーキの写真は後日アップします…。
良くも悪くも因果応報なクリスマスになりました。
ま、幸せだからいいか。 December 24 最近…立たなくて…なんだか最近、立たないんです。
いや、全然というわけではないのだけど、
なんかこう「ギンギン」にならない。
根元はギンってなっても
先っぽがふにゃ~っとなってしまう。
ストレスで体質が変わったのかなぁとも思うけど、
にしても…という感じ。
これじゃあ恋人を満足させられないなぁと嘆くと、
恋人は本音か気を利かせてかはわからないけど、
「大丈夫」
…でもなぁ…僕自身が大丈夫って思えないんだよ…。
わかんないだろうなぁ…この悩みは。
というか女性には分かりづらい悩みなんだろうなぁ…。
明日はちゃんと立つかなぁ…不安だなぁ…
悩んでも仕方ないってわかってるけど、
悩んじゃうものなんですよ。
え?病院ですか?
いや…これは病院じゃ治らないでしょう。
どうしようもないですよ。病気じゃないから。
はい?
最近はちゃんと病院で治療を受けられる?
…何を勘違いしているのでしょうか?
立たないのは髪の毛ですよ。
なぁんかこう毛先がふにゃっとなっちゃって。
もっとギンギンにおっ立ってないと調子でないんですよ。
最高にキマッたかっちょいい男で恋人にも逢いたいじゃないですか。
いや~困ったなぁ…。
勘違いしたあなたってスケベね~(爆)
(読者サービスの後にしょうもないこと書くなよ、俺…) December 23 日ごろの感謝を込めて。December 20 やれやれ…別冊一途バカを立ち上げてみたものの、
読者は増えない。当たり前だけど。
その手のサイトに投稿すればいいのかもしれないけど、
その手のサイトはケータイ向けだったりする。
ケータイ向けに今の小説を描くことは難しいし、
読者層が異なる。
ネームバリューがあるわけでもなく、
人気があるわけでもない。
ただ読者がゼロというわけでもない。
一人でも読者の方がいるのだから、
続けていく活力になる。
爆発的にアクセスが増えることはないにせよ、
じわりじわりと増えていって欲しいなぁと思う。
心配しないでも廃刊することはありませんから、大丈夫です。
休刊もしませんから。
求ム読者(笑) December 15 ぼ~仕事あがり、タバコを片手にぼ~っとしていた。
ピコピンと新しい小説のアイデアが浮かぶ。
とりあえず浮かんだ構想だけメモっておく。
改めて「47」を読み返して、あちこち修正をしている。
「47」に絞った以上、クオリティを上げなければなぁと思う。
こういうご時勢だから、あまり気が進まないけれど、ガンマニア向けの雑誌などが必要かな。
あとはミリタリーマニア向けの雑誌。
でも結局、描きたいことは、そういうのとは無縁だから必要ない気もする。
自衛隊に取材を申し込みたいけど、これまた乱れまくっているから、ナーバスになってる気がしないでもない。
こういうときは口が凄く堅くなるのが組織ってもの。
ネットって便利だよなぁって思う。
だって今ぼやいた資料がある程度、揃うんだもの。
一昔前だったら、図書館に通い詰めなければ得られなかった情報が、
今はマウスだけで揃う。
ぼ~っとしているだけでも情報収集ができる。
でもネットは諸刃の刃。
なんでだろうか。
「表現の自由」
自由すぎるとも思う。
自由ってのは、どこかが縛られているから
わかる。
今のネットは無法地帯。
自由ではない。
自由を履き違えた輩がごまんといる。
ブログブームは落ち着いたのだろうか。
僕はブームに乗ることはあまりない。
ブーム、つまり流行りが訪れたら、次は廃れるからだ。
僕は廃れるのを待っている。
廃れたとき、つまり淘汰されていく中で、
継続している人間は、きっと何かを学ぶ。
継続は力なり。
飽きっぽい僕が1年以上も続けている。
飽きるということはない。
僕にとってここは、きっかけの一つ。
小説家になるためのきっかけ、可能性の一つだと思っている。
だからこれからも続けていく。
「47」が終わったらどうなってるかは、わからない。
ただ一つ言えるのは、次の作品を綴るということ。
ぼ~っとしながら、色々と考えてます。
ぼ~っと情熱を燃やして。 December 13 さてさていよいよ「別冊一途バカ」を始動させました。
加筆修正をしながらとはいえ、ここにアップしていたところまでは、
割とスムーズに更新していくと思います。
こちらはゆるりと行きますので、
これからも「一途バカ」をよろしくお願いいたします。 December 09 「47」の引越し。いつもご覧になってくださる皆様へ。
この度、一途バカで連載中の「47」を専用スペースに移動することに致しました。
今後は「別冊一途バカ」に掲載していきます。
「別冊一途バカ」は「47」のみに致します。
つきましては、一途バカから一旦「47」を全て削除し、
ミスを修正いたします。
年内をメドに…致します。
それでは今後も「一途バカ」をよろしくお願いいたします。
そして「別冊一途バカ」を可愛がってください。
あんまり人気ないから不安だなぁ…(汁) December 07 「47」の今後について。僕の小説を読んでくださっている皆様へ。
いつも「47」を読んでくださってありがとうございます。
皆様のおかげで、「47」は順調に進んでいます。
しかし、現在、僕は悩んでいます。
迷っています。
それは今後も「47」をここに掲載し続けるべきかどうか
ということで悩んで迷っています。
ブログという場所に掲載しているため、
「47」だけに興味がある方、
「47」だけを読みたい方には、
今の状態では非常に読みづらいと僕自身、思っています。
前回の内容を確認するのも、一苦労だと思います。
そこで、今、考えているのが
「47」を別の場所で掲載するということです。
具体的に言いますと、もう一つスペースを作成して、
そっちを「47」専用にしようかと思っています。
今まで僕は皆様に意見を求めずやってきました。
ですが、今回は読んでくださっている方のご意見を聞きたいと思っています。
今後もここで連載していくか、
「47」専用スペースを作成したほうがよいか。
どうか、遠慮せずに皆様のご意見を聞かせてください。
なお、予めお断りしておきますが、
「47」の内容に対してのご意見は一切、反映いたしません。
あくまで、読みづらさを改善するためのみです。
どうか、未熟な僕に忌憚のないご意見をお願いいたします。
下克上 December 04 傾奇者 ゆうべ、隆慶一郎の「一夢庵風流記」を読み終えた。
初めての時代小説だったが、実におもしろかった。
僕は日ごろ、短編小説ばかり読んでいる。
理由は簡単で、さくっと読むことができるからである。
長編となると、時間が気になったり、それこそ寝食を惜しんで読書に耽ってしまうので、
体調を考えると、あまりよろしくない。
だから最近は、100ページ程度の、本当に短いものを読んでいた。
短編小説というのは案外、奥が深く、濃密なものが多い。
長編小説を描くのも難しいが、短編のほうが難しいと僕は思っているし、実際に感じている。
無論、どちらも常人にできることではないが。
「一夢庵風流記」を読み終えて感じたのは、スピード感だった。
長編でありながら、長さを微塵も感じさせない。
僕が長編を読んで長さを感じなかったのは、中島らもの「ガダラの豚」だけだった。
その「ガダラの豚」を超えるスピード感を僕はこの「一夢庵風流記」から感じた。
ページをめくるのが楽しくて仕方なかった。
主人公である前田慶次(慶次郎)は、現代では、あまり有名な武士ではない。
それは単純に資料が少ないということだけである。
しかし、戦国乱世において、前田慶次の名は、おそらく天下に轟いていたと思われる。
天下無双にして天下御免の傾奇者なのだから、知らぬほうが少ないだろう。
僕のように6・3・3でしか日本史を学んでいない人は、傾奇者というと、
せいぜい織田信長と豊臣秀吉。あとは出雲阿国に一休和尚くらいだろうか。
水戸光圀も傾奇者だが、あいにく教科書には載っていない。
石川五右衛門も逸話として登場するくらいだろうか。
しかし、それは当たり前なのだ。
傾奇者とは、歴史に名を残すほうが少ない。
傾く(かぶく)とは広辞苑にも載っているが、
自由奔放に生きることの意味であり、
また異様ないでたちを好むということである。
何より傾奇者は生に対する執着がないに等しい。
従って時代を風の様に駆け抜けていく。
風を描く人はなかなかいない。
結果として傾奇者は歴史の表舞台には出てこなくなる。
「傾奇者とは時の権力者に刃向かうことを己の生存理由とする」
と、隆慶一郎はあとがきに書いている。
僕はもっと噛み砕いた、僕なりの考えを「一夢庵風流記」から学んだ。
傾くとは、人が普通、行動をとるときに「こうしたらどうなるか、ああしたらどうなるか」を考える。
そして「こうしたらえらいことになるな。やめておこう」などと考える。
これが普通である。
しかし「こうしたらえらいことになるだろうか?果たして本当にそうだろうか?ならば試してみよう」
という考えで行動をとることだと思った。
つまりは意表をつくわけである。
「普通はやらないこと」を敢えてやる。
その結果、凄まじい災厄が訪れたとしても、それすらを楽しんでしまう。
それが傾くということだと思う。
前田慶次は戦国乱世という時代において、この凄まじい災厄を何度も経験している。
しかし、一度たりとも嘆かない。
むしろ嬉々としている。
一つは前田慶次という男は自分の腕に自信があったからだろう。
何しろ背丈が六尺三寸(約190センチ)で二十四貫(約90キロ)という巨体の持ち主である。
ほぼ全身が筋肉である、この男が皆朱の長槍を振り回しながら、
松風というこれまた巨大な馬で単騎駆けをしかけてくる。
戦場においては、ほぼ無敵だった。
さらに慶次は頭もずば抜けて冴えていた。
姦計は悉く見破り、敢えて計にその身を投じるほどであった。
また、漢詩や連歌、和歌といった嗜みにも造詣が深く、
慶次に出会った人は老若男女問わず、惚れていった。
敵であろうが、刺客であろうが惚れていった。
実際、慶次を狙った刺客は返り討ちに遭うか、
慶次に仕えるかのどちらかである。
慶次の自由奔放な生き方に誰もが憧れたのだろう。
織田信長も傾奇者として、世に名を馳せた。
これは僕が「一夢庵風流記」を読んで思ったことなのだが、
織田信長の政策というのは、いわゆる恐怖政治である。
武を持って天下を治める「天下布武」を実施した。
従って信長に刃向かうものは、皆殺しにされた。
例えそれが女、子どもであったとしても、信長は躊躇うことなく、殺した。
この行動に対しては、様々な見解がある。
だから無学な僕が言うのは何だかおこがましいのだけど、敢えて書く。
日本という国は、聖徳太子の言葉を引用すれば
「和を以って尊しと成す」という気質である。
その心は今も日本人の気質として脈々と受け継がれている。
戦国時代の始まりというのは足利幕府の終焉でもある。
一つの和が終わろうとしている中、新しい和を作るために諸国の武士は次々と名乗りを上げた。
和を作るには、当然ながらリーダーシップをとる人間が必要である。
覇権である。
覇権を掌握するためには、人心を味方にしなければならない。
民を思い、家臣を丁重に扱い、人の心を惹きつけることが肝要である。
自分に従わぬものは、説得を重ね、或いは交渉し和を結ぶ。
時にそれが戦に繋がるわけだが、できれば戦は避けたい。
そこで様々な策を練り、和議を結び、ぎりぎりのところまで時間を稼いだ。
信長も基本的には同じだろう。
だが、信長は「和」よりも「武」で世を治めようとした。
つまり誰もが避ける手段を率先して用いた。
だから刃向かうものは容赦なく殺され、命乞いをしても無駄であることを証明した。
その一方で、従うものに対しては厚遇した。
自身の領地、領民を第一に考え、配下の武将は階級に関係なく、戦果に対して平等に報いた。
そして実際、信長は着実に覇権を掌握し、新しい形で日本をまとめていた。
おそらく明智光秀の謀反がなければ、天下統一は確実だっただろう。
実際、信長の跡を継いだ、これまた傾奇者の豊臣秀吉は天下統一を果たしている。
信長の表面的な解釈は、奇人変人である。
常人には理解できない行動が多いからである。
これが信長を傾奇者とするゆえんでもあろう。
常軌を逸したとしか思えない行動だが、その行動は確実に歴史を動かした。
封建的な価値観で固まっている日本に、自由奔放な価値観で名乗りを上げた。
僕は思うのだ。
信長が欲したのは天下などではなく、その先ではないかと。
まだ見ぬ世界へ飛び出す基盤が日本であっただけで、
天下統一はあくまでプロセスでしかなかったのではないかと思う。
傾奇者に生への執着はない。
あるのはどこまでも駆けていく豪胆さである。
おそらく本能寺で明智光秀の謀反を受けた際、逃げることもできただろう。
だが、信長はそれをよしとしなかった。
寵臣が謀反を起こすのならば、それまでのことだと腹を括っていたのではないだろうか。
一説によれば、信長は燃える本能寺で能を舞っていたともいう。
傾奇者は風流を愛でる。
最後まで風流を通した、それこそすなわち傾奇者だったと僕は思った。
そういう点で見ると、豊臣秀吉を傾奇者と見るのは少々、無理がある気もする。
傾奇者というよりは、やはり農民上がりというイメージがついてしまう。
猿面冠者と言われているが、どうあがいても信長ほどの潔さは感じないし、
風流を理解していない。
特に晩年はあまりに突飛な行動をとっているため、
傾奇者というよりは、執着の塊という感じが否めない。
懐の広さは、なかなかだが、家臣が不満を募らせていたあたり、自分が傾奇者だったことを忘れてしまった感がある。
もっともそれは石田光成のせいかもしれないが。
さて、現代において傾奇者はいるのだろうか?
いる。
僕は「一夢庵風流記」を読んで、即座にあるものと結びついた。
それはRockである。
Rockとは反体制の象徴である。
僕がRockを音楽のジャンルとしてではなく、生き様であると信じているのは、
あらゆる社会にRockが存在するからである。
人と違ったことを好み、曲がったことを好む。
そのせいで批判され、非難されても、どこ吹く風。
自分の生き方を貫き通す。
そして、そこから生み出されるものは、どれも素晴らしい。
派手な外見と、時に野蛮といわれる言動をとるが、
内面は誰よりも繊細で、熱いハートを持っている。
Rockとはそういう生き様の持ち主を言う。
理解されようなどとは思っていない。
ただ、自然と人がついてくる。
人を惹きつける魅力を持っている。
傾奇者と同じではないだろうか?
こんなことを言うと、隆慶一郎の言葉を鵜呑みにして、思い切りかぶれたように思われるかもしれないが、
それは違う。
「一夢庵風流記」を読み始めて、3ページほどで、
「あ、これってRockのことだ。」
と、自然に結びついたのである。
さすがに現代において命を脅かすような生き様は愚行だが、
結果として命の危険にさらされることはあるだろう。
また命を削って、Rockを体現することも多い。
今は亡き、伊丹十三監督がいい例かもしれない。
故、黒川記章は破天荒な行動を死の直前にやって世間を騒がせた。
まぁ理解できた人がいるとは思えないが、
彼は建築界においては、多大な評価をされた人物である。
常人には理解できないだけなのかもしれない。
もしくは、己の死期を悟って、茶番を演じたのかもしれない。
だとすれば、それはそれで風流ではないだろうか?
「一夢庵風流記」を読み終えて、僕はなんとなく布袋寅泰は前田慶次に通ずるものがあるなぁと思った。
14年、布袋寅泰の背中を追い続けてきたから、似ている部分が多く感じたのかもしれないが、
時に世間から憎まれ、時に世間を楽しませる。
自分を貫き通せる強さと武器。
そして男惚れしてしまう人柄。
豪放な見た目と裏腹に、繊細でロマンティストな布袋寅泰。
現代の傾奇者だ。
hideもそうだ。
人が大好きで、誰よりも周りを愛する。
男が惚れる男。
挙げていくときりがないな。
僕も下克上を名乗っているくらいだ。
いつかはそういう男になりたいものだ。
日々、精進あるのみ。
忍耐も苦労も精進、精進。
読み捨て歓迎「ある不便者」 不満というものはきりがない。
なぜなら満足というものにきりがないからである。
「満足している」という状態は、進歩をやめた状態ではないだろうか。
現状に甘んじているのではないかと思うのは若さゆえだろうか。
上を見ればきりがない。
かといって下を見てもきりがない。
そこで妥協する。
それが満足ではないだろうかと思う。
もちろん、本当の満足というものも存在するだろう。
それは人によりけりであり、他人の意見に左右されるものではないだろう。
もし、己の満足を他人に批判されて、その満足が一転、不満になるようなものならば、
所詮は妥協の産物である。
不満も然りである。
己の不満をぶちまけて、他人に諭され
「あぁやっぱり今の自分は満たされている」と思う不満ならば、
それは妥協できる範囲であり、本当の不満ではないと思う。
だから現状に不満を感じることもなければ、満足することもない。
そう割り切ってしまえば、人生はずいぶんと楽になる。
だが、それは簡単なことではない。
俺は現状に不満を感じているかと言われたら
「感じている」と答えるだろうし、
現状に満足しているかと問われたら
「それなりに満足している」と答える。
つまり、妥協している。
妥協することに疑問を抱いてはいるが。
多くの人がそうであるように、俺自身、日々、妥協の繰り返しである。
ただ、俺は自分の性格を不便だと感じる。
仕事においては、微々たる給金とはいえ、真剣に取り組む。
それ故、同僚の働く姿勢に疑問を抱くことも多い。
無機質にマニュアルどおり動いて、そのくせ新参者には人間臭さを要求する。
やれ笑顔が足りない、声が小さい云々。
新参者を指導する人間は模範的であれと思うのは俺だけだろうか。
指導する人間に笑顔がなく、ただ淡々と数をこなしている姿は、
明らかに矛盾している。
しかし、新参者がそんなことを言えば角が立つ。
結局、そこはぐっと堪え、流れに乗ってしまうか、
自分だけは自分を貫くかのどちらかしかないのだが、
流れに乗るのは容易いのに対し、自分を貫くのは容易ではない。
なぜなら、目に付いて仕方ないからである。
古参だからといって、必ずしも模範的とは限らないのだが、
往々にして古参に従う風潮がどこもあるからである。
少なくとも、今、俺が見習うべき古参はいない。
もっとも俺はこの仕事に全てを捧げるつもりなど毛頭ない。
僅かばかりの糧を得る手段として、この仕事を選んだ。
だから、そんなに真剣に望む必要はないのだが、
どういうわけか、仕事に赴くと、どうにも捌けた行動ができずにいる。
つまり真剣になってしまう。
しかし、その真剣さは報われるわけでもなく、むしろ己の不便に拍車をかける。
ならば辞めて、別の仕事を探せばいいのだが、
どうせ俺のことである。
新しい仕事に就いたら就いたで、また己の不便さを呪うだけだろう。
このような人間はおおよそ長生きできない。
己の不便さを呪い、それがいつしか世の中に対する恨みつらみとなり、命を絶つ。
だが、俺は生きている。
自ら命を絶つほど愚かではない。
いっそ愚かだった方がどんなにか楽かとも思うほどである。
己のアイデンティティーなど微塵も感じない愚かであれば、
このような不便さは感じないのだろうと思う。
かといって、こんなことを言えば、
「お前はどれだけ賢いのだ?自惚れるな。」
と言われるのが落ちである。
愚かであれば愚かなりの悩みはあるだろうし、
聡明であれば聡明であるが故の悩みはあるだろう。
俺に関して言えば、不便ゆえの悩みなのである。
贅沢と言えば贅沢だが、
森羅万象、あらゆるものに悩みが存在するのなら、
贅沢なことだとは思えない。
俺には野心がある。
その野心が希望である。
野心と言ってもささやかなものだ。
少し大げさかもしれない。
だが、野心であることにはやはり違いはない。
だから、俺は己の不便さを嘆いても、世を儚むような真似はしないのである。
いつか掴み取る日を信じて、己の野心を燃やし続けるだけだ。
野心家と言うのはいつだって不便者だったのではないか。
己の不便さをかき消すために、野心を抱き、その野望を叶えてきたのではないか。
野心の大小に関係なく。
不便であることは、よいことではないが、悪いことでもない。
不便に妥協はなく、上下もない。
あるのは、ただ自分自身との対峙である。
妥協したところで不便は解消されない。
ならば、不便を解消するために、日々を変えていくしかないのだろう。
だが、その日々が鬱々とした気分にさせることもまた事実である。
鬱々とした日々で腐るか、脱却できるかは、わからない。
ただ否応なしに日々はやってくる。
「明日も腐らずにいられるだろうか」と思いながら、
わずかな時間を用いて精進する。
つまるところはそういうことなのだろう。
「これを不満というのだ」と言う人もいるだろう。
ならば言わせておけばよい。
不便を感じないものには理解できないことなのだ。
決して見下しているわけでもなく、へりくだっている訳もない。
ただ、不満と不便は別次元の問題だということだ。
俺は今日も不便な生き方をするのだろうな。
野心がある故。
了
December 02 悦楽Beat布袋さんは実に粋だ。
開演と同時に、僕らはまるで旅に出た気分だった。
ジプシーのように、
あるいはキャラバンのように。
演劇のようなRockPARTYだった。
布袋さんのエッジの効いたBeat。
中村達也の野性的なドラム。
ju-kenの挑発的なベース。
スティーヴ衛藤のDNA直結パーカッション。
TAKUYAの扇情的なギター。
森岡賢ちゃんの艶かしい舞い。
こんなにダンサブルで刺激的なPARTYは初めてだ。
いつもは体中でBeatを刻みながら、布袋さんの指先を見つめているけど、
今回はもう踊りまくりの叫びまくりだった。
そして、布袋さんは僕らにきっちり詫びをした。
音楽だけではなく、言葉で。
「曲がったことが大好きで、人と違うことを常にやり続けてきた。これからも続けていく。」
そんな布袋さんの言葉が、今、読んでいる一夢庵風流記の「傾奇者」の定義とぴったりだった。
布袋さんとTAKUYAのGoodFeelingなBadFeelingバトル、よかったなぁ。
スティーヴ衛藤のソロ、最高でした。まさにトランス。
中村達也は永遠のワルガキって感じなんだけど、
ju-kenと同じで、カッコいいワルガキだなぁ。
森岡賢ちゃん、魅了しすぎです。物凄い官能的だったよ。
「やるだけやっちまえ!何もしないよりはマシ!」
布袋さん、気づいたら僕、やるだけやってます。
なんだか自分でもちょっと驚いてます。
まだまだ未熟だけど、やるだけやっちまってるよ。
いつか、貴方の横に自らの力で並びたい。
その日のために、退屈な日常を頑張っていくよ。
2月にまた逢いましょう。
ありがとう、布袋さん。
貴方についてきてよかった。 |
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