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    February 21

    石垣と横浜

    恋人は今日、スキューバを生まれて初めてした。
    シャワーでおぼれるくらいだから、ちょっと不安だったけど、
    不安的中。酸欠で頭痛がしたらしい・・・やれやれ。
    でも青い海と艶やかな熱帯魚を間近で見れて、喜んでいた。
    うらやましい・・・。
    僕も一度、スキューバをやってみたいと思う。
    ただ・・・サメが怖いんですよ。あ、笑ったな・・・くそ・・・。
    スキューバのゲームとかやってたら、サメが怖くなったのです・・・。
    けど、やっぱり自分の目で海の中を見てみたい。
    水族館だけじゃやっぱり物足りない。
    釣りもしたいな。
    少し沖に出れば、大物が釣れそう。
    ただ・・・船酔いするんですよ。あ、また笑ったな・・・くそ~・・・。
    前に時化た時に船釣りしたら、酔った。
    シイラ釣りだったけど、釣った記憶がない。
    けろけろけろっぴしてた(古)
     
    そんな僕は横浜で青い海と空を想像して、ぽっか~んと月を見ているのです。
    うぅ、寒い。身も心も冷えそうだ・・・。
    僕も一人で旅行するかな・・・熱海とか・・・。
    いや、なんだか余計に寒くなりそうだ。
     
    明日はバッサリと髪を切ろう。
    SOUL SESSIONで髪をおっ立てるために伸ばして、そのままだ・・・。
     
    たまには脱力しないとね。
    ズボラの一歩手前ですけど。
    February 18

    輝く太陽と月

    冬の澄んだ夜空に煌々と月が輝いている。
    冬の空が好きだ。
    たくましいオリオン。
    輝くシリウス。
    淡い光のすばる。
    夏の星座はわからないけど
    なぜか冬の星たちは覚えている。
    中学生の頃、塾の帰り道、オリオンを見ていたら
    流れ星を見た。
    生まれて初めて、流れ星を見た。
    それは一瞬で、何も願い事なんて浮かばなかった。
    ただ、流れ星を見ることができた幸福感は
    今まで味わったことのない幸福感だった。
     
    月は当たり前のように輝いている。
    美しく、夜空を照らしている。
    月を見ていると、なんとなく心が安らぐ。
    遠く離れて暮らす、祖父母。
    憧れのRockスター。
    魅惑的なハリウッド女優。
    癒しを与えてくれるミューズ。
    天国で暮らす人たち。
    僕にとって大切な人たちと共有できる時間。
    月を見ていると、距離も時空も超えて
    温かい気持ちになれる。
     
    美しく輝く月。
    けどあれは反射光。
    太陽の光を反射して
    月は輝いている。
    月は自分で輝くことはできない。
    太陽という存在があって、初めて輝くことができる。
    そして輝く月があるからこそ、太陽の光を大切にできる。
     
    人も同じ。
    どんなに輝く人でも、自分独りでは、その輝きもくすんでしまう。
    その輝きを反射する人がいて、
    相乗効果で、初めて輝くことができる。
     
    僕は太陽であり、月でもある。
    恋人もまた、太陽であり、月。
     
    太陽の光は
    生命を育み、希望を与える。
    僕が小説家になることができたら、
    おこがましいけれど、
    太陽になりたい。
    February 16

    終了

    ようやく小説が書きあがった。
    70ページ。長いか短いかはわからない。
    長くはないと思う。
    さて、これをどうしたものか・・・
    出版社に直で聞いてみよう。
    自分の締め切りは去年の12月末だったのに・・・
    ずいぶん押してしまった・・・。
    さぁて、次のアイデアを膨らませよう。
    ちなみに400字詰め原稿用紙に直すと
    170ページほど。
    どこかの新人賞に持ち込もうかしら・・・
    February 13

    小説が行き詰まった・・・。
    浮かんでくるのは他愛のないことばかり。
    これがスランプ?
    まだアマチュアなのに・・・
    まいったなぁ・・・
    February 09

    hide

    僕はhideを尊敬している。
    布袋寅泰の次に、尊敬している。
    僕が知っているhideは
    XでもX JAPANのhideでもない。
    「hide」としてのhide。
     
    初めてhideを知ったのは、「Tell me」だった。
    真っ赤な髪の毛に派手な格好。
    けどメロディーはポップで、詩は優しかった。
    なんとなく、気になった。
    そして偶然、「Hi-Ho」を聞く機会があった。
    4曲入りで、その中に「POSE」という曲があった。
    やられた。カッコよかった。
     
    けど、中学生の僕には、欲しいCDを全て買う経済力はない。
    恥ずかしながら、当時の僕は観月ありさのファンだったので(笑ってくれ)
    そっち優先。次に布袋寅泰、CHAGEandASKAという順番があった。
    だからhideは頭の中に入れておいて、ゆとりが出たら、買おうという感じだった。
    まだインターネットはなかった。CDレンタルも普及してなかった。中古販売も少なかった。
    もっとも、中古でCDを買おうとは思わないけど。
     
    中学校生活も終わろうという頃、X JAPANが解散。
    hideはソロワークに集中するという話を雑誌で読んだ。
    高校生になれば、小遣いも増える。
    さっそくhideの「PSYENCE」を買った。
    しびれた。
    布袋寅泰とは異なるRockに興奮した。
    同時に、hideの繊細で優しい一面も知った。
    音楽を楽しんでいるんだなぁと感じた。
    そして「ROCKET DIVE」が発売された。
    hide with SpreadBeaverという怪人バンドを結成したのだ。
    初めて見たhideは真っ赤な頭で中性的な感じを受けたけれど、
    このときのhideは(というか実際はPSYENCEから)
    ピンクの頭にテンガロンというヴィジュアルというよりグラムな感じに変わっていた。
    SpreadBeaverのメンバーも水色モヒカンのチロリンや金髪モヒカンのD・I・Eなど
    まさに怪人ぞろいだった。
    刑務所みたいな高校生活に、布袋寅泰とhideは生きる力を与えてくれた。
     
    そんな矢先
    hideはいなくなった。
    ROCKETに乗ったまま、旅に出てしまった。
    その時、ちょうど僕は生きる意味を見失っていた。
    Rockだけじゃ生きて生けない。所詮、Rockは綺麗事じゃないのか。
    拘束され続ける生活に疲れた僕に「死」という考えが浮かんでいた。
    hideがいなくなって、多くの人が悲しんでいた。無論、僕も。
    hideのあとを追う人もいた。
    とにかく、多くの人が悲しんだ。
    「生きよう」
    自然とそう思った。
    親が悲しむ。その想いだけで、十分、生きる意味になった。
     
    hideがいなくなって
    残された音源がリリースされ、
    DVDでhideの「松本秀人」の部分を知った。
    涙が止まらないくらい、悲しくなった。
     
    けど、ずっと悲しんでいたら
    hideも悲しむ。
    だから僕は考え方を変えた。
    「hideはファンのことが大好きだったから、ファン、ひとり、ひとりの心の中に引っ越したんだ。」
    「全てのファンを見守りたかったんだ。」
    そんな風に思ったら、少し前向きになれた。
    布袋寅泰がhideのトリビュート盤に参加してくれたのも、また嬉しかった。
    「Rockはつながっている」
    やっぱり僕はRockが生きがいなんだと思った。
    自分の信念を貫き通すことがRock。
    それをhideに教えてもらった。
     
    親父が50歳になって自動車免許を取った。
    初めての遠乗り、どこか行きたい所はないかと聞かれた。
    だから僕は、できたばかりのhideミュージアムを選んだ。
    僕の家からなら、車で1時間もかからない。
    真っ青に頭を染めた僕と、親父。
    二人でhideに会いに行った。
    親父は所在無さげに、ものめずらしそうに見ていた。
    僕はhideの使っていたギター、衣装、直筆の詩など
    おもちゃ箱のような空間を満喫していた。
    カフェに入ると、プロジェクターでhideのライヴ映像を見ることができた。
    親父とhideの姿を見ていたら、親父がぽつりと呟いた。
    「自分より先に死んだ若い奴の姿を見るのは、なんだか気持ちが悪い。」と。
    なんとなく、分かる気がした。
    そして、親父が不器用だけど、僕のことを理解しようとしてくれている気がした。
     
    hideミュージアムには恋人とも行った。
    初めてhideに触れた恋人は、少し驚きつつも、楽しんでいた。
    僕にとって大切なコト、大切な人、大切なモノを理解してくれる人だから、
    「また行こうね」と言ってくれた。
    二度目はhideミュージアムが閉館される少し前だ。
    真夏の暑い日で、行列ができていた。それを見たら
    「あぁhideは生きているんだなぁ」と実感した。
     
    hideのおかげで色んなことに気づかされた。
    布袋寅泰とは違う、大切なコトを教わった。
    時々、hideに逢いたくなる。
    そんなときは、目を閉じて、hideの音楽に耳を傾ける。
    時には一緒にギターを奏でる。
    hideと同じモッキンバード。
    へたくそだけど。
     
    Hello!hide!
    元気ですか?
    こっちはなんとかやってます。
    最近は何だか元気のない世の中です。
    けど、僕はRockに生きてるよ。
    いつかJAMろうね。
    アディオス!
    February 07

    なんで小説家か。

    この国の政治家は本当に阿呆が多い。
    柳沢厚生労働大臣は潔く、辞めれば済む話である。男は引き際が肝心なのだ。
    安倍首相も決断力が無さ過ぎる。
    小泉前首相の決断力がありすぎたとも言えるのだけれど。
    安倍首相は所詮、おぼっちゃまだ。
    野党も野党である。
    ようやく国会に戻ってきたが、与党だろうと野党だろうと、国民の代表である。
    国民がボイコットを要求しているならともかく、
    勝手にボイコットして、給料だけはしっかりもらってるのでは困る。
    ちんたらやってるから、税金の無駄遣いに誰も気づかなくなってしまうのだ。
    このままなら、僕は選挙では白紙投票する。
    国会は寄り合いじゃないんだ。
     
    と、憤りをつぶやいてみた。
    僕は毎日のように、ニュース、新聞から得た情報を噛み砕いて腹の中に入れる。
    時間がたくさんあるから、視点を変えながら、いろいろと考えたりする。
    だから今、日本が好景気というのが、不動産がバブルという状況だから、そう言っているのであって
    個人で考えれば、景気なんてこれっぽっちも上がっていないのだ。
    というように頭の中に色々と考えが湧いてくる。
    これだけはいつまでも変わらない自信がある。
    けど、肉体は変わる。衰える。
     
    僕は今、こうしてキーボードを叩いて、言葉を紡いでいるけれど、
    原稿用紙に向かってペンを持つと、こうはいかない。
    ひどい悪筆で自分でも読めない。
    丁寧に書けば、時間がかかるうえに、震える。
    肉体の痛みやこわばりは、日常生活に支障をきたす。
    この先、病が軽くなるのか、ひどくなるのかは分からない。
    いや、きっといつかは治ると信じているけれど、
    現状では、悪化している。
     
    こういう状況で、先のことを考えるのは難しい。
    けど、僕は考えなければならない。
    独立しなければならないから。
    職に就かなければならないから。
     
    体が言うことをきかないなら、
    将来を考えたとき、頭は言うことをきく。
    こうやって色々な考えを発信することはできる。
    なら、
    小説家を目指そう。そう思った。
    「こんなもんが売れるなら、僕はもっといいものが書ける」
    本屋でそう思った。
    それから、小説にとりかかった。
    もともと、10ページくらいの真似事をしていたから
    ちょっと集中すれば、少しはマシになった。
    それを繰り返して、今日まで書いてきた。
    これからも書き続けたい。
    作品を仕上げて、多くの人に読んでほしいと思う。
    そのために、僕は努力をしている。
     
    体のことを心配せずに、
    自分のやりたいことができたらいいな。
    そんなことを思ったから
    小説家を目指している。
    甘い考えかもしれないけど。
     
    何もしない奴よりはマシ。
    夢を諦めて、なあなあで生きている奴よりマシ。
     
    生きることの楽しさ、大切さが分かっているから
    それに気づけない人に
    きっかけを与えてみたい。
     
    自惚れですね。
    February 04

    線維筋痛症

    先日、日本テレビのアナウンサー、大杉君枝さんがお亡くなりになった。自殺との報道。
    ニュースでこのことを聞いたとき、一瞬、固まった。
    大杉君枝さんは、育児休暇をとっていたとのこと。
    そして、出産後、「線維筋痛症」を患っていたと報道された。
    おそらく、この病気の名前を知っている方は少ないと思う。
    珍しい、聞いたことのない病気だと思う。
    だけど、この病気を僕は知っている。
    僕も「線維筋痛症」だから。

    この病気は、発見されたのが1990年代と、かなり新しい病である。
    そのため、医者に浸透していない。
    症状がリウマチに似ているため、リウマチと誤診され、
    副腎ホルモン剤や、ステロイド、免疫抑制剤などを投与されて、かえって悪化する例もある。
    しかし、この病の最も危険な部分は
    「うつ状態」になるということだ。

    僕の体を例に挙げると、
    体のあちこち、関節だけではなく、ふくらはぎや、腕などが痛む。
    痛みを人に伝えるのは難しいけれど、
    なんというか、骨から筋肉へ熱が伝わっているような痛みがする。灼熱感という感じ。
    体の主だった筋肉を押すと痛む。
    平行して、体がこわばる。指先は震えるし、時々、痙攣を起こす。ふくらはぎと、土踏まずは、毎晩、つる。
    「体が痛くない」という状況を忘れてしまった。
    そのくらい、体が痛む日々。
    体が終始、痛むから、ものすごくストレスが溜まる。
    イライラするし、正直、辛い。
    そのせいで「うつ」になってしまった。
    僕は最初、「うつ病」だと思っていて、心療内科に通っていたけれど、一向に良くならなかった。
    無理もない。「うつ病」ではないのだから。
    読売新聞の医療記事で、この「線維筋痛症」を知ったとき、
    僕は確信した。「この病気だ」と。

    新聞に載っていた病院で診察を受けた。
    「線維筋痛症ですね。」
    そして処方された薬は、抗不安剤などの、いわゆる精神安定剤だった。
    この病は今のところ、根治治療のすべがない。
    しかし、セロトニンやノルアドレナリンなどの脳内ホルモンを活性化する薬の投与で痛みが軽減する対処療法はある。
    さらに抗うつ剤や、抗てんかん剤、睡眠導入剤などを使用することで、痛みを軽減できる。
    あくまで「軽減」だけど。

    その時、僕はようやく、心療内科と縁を切ったばかりだった。
    だから、処方された薬を見たとき、
    「あぁ、また薬漬けか」
    と思った。
    そのせいもあって、足が病院から遠のいていった。

    痛みに耐えながら、自分をだましつつ、仕事をしていた。
    「線維筋痛症なんです。」と言っても、返ってくる答えは
    「へぇ、なんか大変だね」くらいのものだった。
    去年の4月、痛みもストレスも限界に達した。
    仕事を辞めて、新しい病院を探した。
    今、僕は、そこで治療している。
    薬は手放せない。仕方がない。
    ただ、今、僕が通っている病院は漢方の専門医がいる。
    だから、漢方と併用しながら、治療している。

    今も、体は痛い。
    働きたいと思う。
    けど、体がついてこない。
    怠け者扱いされたこともある。
    自殺を考えたこともある。
    けど、
    僕より重い病の方もいる。
    治療を受けることができない方もいる。
    僕は恵まれている。
    そう思って、今、生きている。

    「絶望は死に至る病」と言ったのは、キルケゴールだったか。
    絶望する前に、人にすがってほしい。
    100%頼っていいと思う。
    周りの理解が得られないなら、
    その「周りの人」は必要ないのかもしれない。
    この病は理解してくれる人が必要。

    どうかこの機会に、線維筋痛症だけではなく、
    様々な病に対する偏見が無くなればと思う。
    そして大杉君枝さんのご冥福を心からお祈りいたします。
    February 01

    当たり前

    今、これを読んでいる方は、少なくとも
    中学校を卒業しているはずだ。
    そして、就職か、高校進学か選んだ。
    高校を卒業した人は、また大学進学か、就職か選んだと思う。
    大学に行った人は、卒業して、就職したと思う。
    これは一般的な考え方だ。
    僕から見れば、いたって平凡な道だと思う。
     
    僕は高校を一度、辞めた。
    理由は簡単。体罰とパワハラが跳梁跋扈する学校だったから。
    体制にそむこうとすれば、体罰か、権力で抑え付けられた。
    アホくさくて辞めた。
    そもそも親が選んだ高校で、僕自身、魅力のない高校だったから。
    まぁ親には迷惑かけたけど。あ、今もか。
    一年間、放蕩生活をして、私立の定時制に編入した。
    定時制高校は二極化していた。
    将来のビジョンを持っている人と、
    後先考えない、幼稚な人。
    僕は一応、大学進学を夢見ていた。
    昔から妖怪が好きだから、民俗学を専攻したいと思っていた。
    けど、結局、大学には行かず、ギターの専門学校へ進学した。
    理由は、勉強が嫌いだったから。
    かといって、働くという選択肢もなかった。
    とりあえず、ギターが好きだったから、専門学校へ進学した。
    結局、辞めた。
    妥協して選んだ道で、実は将来のビジョンなんて持ってなかった。
    それからはバイトしたり、就職したりもしたけど、
    どうも社会の歯車になれない。
    クリエイティブなことがやりたいという想いが強かった。
    だから、今、小説家を目指している。
     
    日本では、こういった感じで、選択肢が無数に存在する。
    当たり前だと思っている。
    しかし、それは先進国、いや、日本が特出しているのだ。
    日本の識字率は確か、90%前後だった。
    これは驚異的な数字なのだ。
    欧米は意外と識字率が低い。
    だから、欧米製で組み立てる必要がある物の、説明書には文字がなかったりする。
    全部イラスト表記。
    日本人には分かりづらい。
     
    いわゆる先進国ですら、こういった現状なのだ。
    誰もが新聞を読み、手紙を書き、こうやって考えを世間に表現する。
    本当は恵まれた環境なのだ。
    いわゆる発展途上国と勝手に呼ばれている国では、
    識字率より、計算力を優先する。
    というか、学校に通うことすら、ままならない。
    つまり働くために、商売をするために計算力を身に付ける。
    自分の名前が書けない。けれど計算はできる。
    そんな人がたくさんいる。
    義務教育とは名ばかりで、実際は、その日の生活費を稼がなければ生きていけない人がいる。
    国もそれを容認している。
    教育を施せば、革命がおきて、搾取している自分たちの身が危うくなる。
    そんな愚かで悲しい連鎖が続いている。
     
    日本は今、教育改革を声高に掲げている。
    学力低下、いじめ、学級崩壊、云々。
    いじめは大問題だけれど、
    学力低下は競争社会において、当然の出来事だと思う。
    自分から勉強する人は、当然、学力は上がる。
    しない人は、どんどん下がる。
    下がるといっても、生きていくのに困るほどではない。
    全ては因果応報である。
    「やっておいてよかった」と思うか
    「やっときゃよかった」と思うか。
    実はどちらも、そう考えることができるという状態が
    恵まれているのではないだろうか。
    省みる余裕があるのは、幸せだと思う。
     
    三度の飯にありつけて、温かい布団で眠れて、雨がしのげる場所がある。
    当たり前のようだけど
    恵まれているんだ。