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September 27 平和?毎日のように、殺人事件が起きる、この国。
親が子を殺し、子が親を殺す。
この国は平和ではないとつくづく思う。
子が親を殺めた時、またかと思うのが、
マンガやアニメに対するバッシング。
今までゲーム、小説といったものが常々、非難の対象になってきた。
関係ない。
もし重大な関係性があれば、
僕は今頃、親どころか、シリアルキラーになっているだろう。
識者と呼ばれる人たちは、物事を常識でしか判断できない。
そして、その常識は古く、新しいメディアを理解できない。
だから理解できない事件には、理解できないカルチャーが背景にあると決め付ける。
極めて幼稚で、短絡的である。
識者なんてのはアテにならない。
天狗になっているだけなのだから。
凄惨な事件が起きると、人々は事件の背景を探る。
しかし、真相は当事者にしか分かるはずもない。
常軌を逸した行動が理解できたら、人は悩まない。
山口県光市の事件がいい例だ。
元少年の行動は誰にも理解できない。
そこに腐れ弁護士どもが亡者のように群れて、
屁みたいな知識で無理やり、「理由」をつける。
その結果、トンチンカンな発言が飛び出す。
裁判員制度が導入されていたら、確実に死刑である。
自分たちが正義であるという驕りが生み出した不毛な裁判である。
僕が本村洋さんの立場なら、自ら天誅を下しているだろう。
最近の日本は人命が軽んじられていると思う。
守られるべき命が奪われ、
法の名の下に裁かれた命は安穏としている。
この状態は平和とはおよそかけ離れているのではないだろうか?
それに気づいていない人があまりに多い。
物事を全て平和であるという大前提で判断している。
否。
それではいつまでも堂々巡りなのだ。
どうすればこの混乱が収束するか、そこから考えなければならない。
そして行動をとらなければならない。
僕が思う平和とは、隣人を信用できる状態から始まると思う。
他国と比べれば日本は平和。
戯言である。
人は人、とよく言うではないか。
真の平和とは何なのか、最近、よく考える。
事勿れ内閣新しい内閣が発足してすぐだが、何となくこんな印象を受ける。
とりあえず内閣の平均年齢が上がって、昔の体制に戻る感は否めない。
何より、福田総理の事勿れ主義に懸念を抱いてしまう。
年金改革は舛添厚生労働大臣の続投が決まったので、
今まで甘い汁を吸ってきた官僚には天罰が下る。
問題なのは外交政策だ。
まず絶対にやらないと思われるのが、靖国参拝。
なぜ、中国や韓国のことを気にしなければならないのか?
とやかく言ってきても、それは内政干渉でしかない。
ならば日本も中国や韓国の政策に一石投じても構わないはずだ。
反日教育、穿ったものの見方に異を唱えても、構わないだろう。
いつ、気づくのだろうか?もうへこへこ頭を下げる必要はない。
北朝鮮問題も事実上、凍結と思われる。
が、打開策はあるのだ。
現在、日本はテロ特措法を延長するか議論している最中である。
平たく言えば、戦争に加担するか、否か。
日本は片棒を担ぐのが嫌で、揉めている。
ならば、アメリカに条件を出せば済む話ではないだろうか?
現在、北朝鮮問題、特に拉致問題は全く進展していない。
これは明らかに北朝鮮が日本をナメているからだ。
しかし、そんな北朝鮮もアメリカは恐れている。
つまり、アメリカをもう一度、こちら側にひきつければ良い。
条件は容易い。
「テロ特措法を延長する見返りに、北朝鮮に対する制裁を厳しくする」
ただ、それだけでいい。
アメリカに日本が無償で奉仕する必要性はない。
それこそ強硬路線に出て、
もしも北朝鮮問題に対して真剣に取り組まないのならば、
沖縄、横須賀をはじめとした、借地を返還せよと突きつければよい。
無論、アメリカも黙ってはいないだろうが、
現在、日本にある基地がイラク治安維持活動において
重要拠点であることは間違いない。
そこを返還することは事実上、不可能である。
不可能を突きつければ、アメリカも実行せざるを得なくなる。
再度、経済制裁をし、核問題だけではなく、拉致問題も解決するために、
ある程度は尽力するだろう。
アメリカが拉致問題に対して無関心なのは、被害者がいないからである。
所詮、遠い海の向こうの話でしかないからである。
ならば、こちら側へ強制的に引きずり込めばいいのではないだろうか?
日本において、北朝鮮は融和の対象ではない。
従って、同じテーブルで対話することはできないのだ。
世界の警察という切り札を行使しなければ、
日本が望む対話は実現不可能だと思う。
しかし、福田首相はそれをやらないだろう。
アメリカ万歳の世代はアメリカに牙を剥くことができないのだから。
阿呆大統領であっても。
事勿れ主義では、何も解決しない。
すでに大きく傾いた船だ。
いまさら水をかき出すよりは、
一か八かの大博打もいいのではないだろうか?
少なくとも、僕はそう思う。
これが、1民意である。
反映されないであろう民意である。
自分では中道だと思っている。
右も左も関係ない。
国会議員に職務を全うして頂きたいだけである。
September 26 Moon昨日、恋人を見送ってから、少々買い物。
初給料・・・といっても4日分なので、微々たる金額だけど、
久々の収入なので、早速買い物。
ブライアン・セッツァーオーケストラの新譜とゲームを一本。
おかげでブログも小説もすっかり止まってしまった・・・。
恋人と過ごした連休は、久しぶりに映画鑑賞。DVDだけど。
「ママの遺したラヴソング」
「TRICK2劇場版」
「プロジェクトBB」
の三本を見た。
トラヴォルタは相変わらず素晴らしい演技で、
どこかナチュラルな感じすら受けた。
舞台であるアメリカ南部独特の、のどかな雰囲気が心地よかった。
こんな小説が書けたらなぁと思ってしまった。
TRICKは相変わらずのゆる~い感じがいい。
これでお終いみたいだけど、また見たいなぁと思う。
そしてジャッキーのパパぶりを見て、
僕は子どもがほしくなった。
最近、よく思う。
そういう年になったのかな。
色んな意味でまだ父親にはなれないけど。
帰り際、自生している彼岸花を見つけた。
中秋の名月に、彼岸花を添えたら、さぞ怪しげで美しいんだろうなぁと思いつつ、
勝手に引っこ抜いたらかわいそうなので、目に焼き付ける。
天気予報が見事に外れたおかげで、夜空は月のものだった。
星も月の光にかき消されて、その瞳を閉じているように思えた。
月を見ながらタバコをくわえ、独り月見。
今宵だけは、月が夜を支配する。
白く輝く月を見ながら、僕は色んなことを思った。
月から見た地球はきっと美しいのだろう。
ただ、見てみたいとは思わない。
月に行く前に、片付けなくてはならない問題がこの星には山ほどある。
全ての問題が片付いてから、人は地球を離れても許されると思う。
ただ、そこに必要性は感じないけれど。
月は、やっぱり観るものだから。 September 23 曼殊沙華可憐で綺麗な花というと、僕はこの花を思い浮かべる。
他に類を見ない形、艶やかな赤。
そして、この時期しか、その姿を見ることが出来ない。
皮肉なことに、この時期というだけで、
「幽霊花」や「地獄花」などという俗名がついてしまった。
アルカロイド系の毒が含まれているせいもあるのだろう。
綺麗な花には棘、いや毒があるのは、よくあることなのだが。
僕の好きな花の一つ、彼岸花。
なぜか、僕の周りにいる人たちが持つ、
この花のイメージはあまり良くない。
有毒だからだろうか?彼岸に咲くからだろうか?
僕は幼い頃、綺麗だと思った。
だから周りが何と言おうと、綺麗な花である。
アルカロイド系の毒がある植物は多い。
チョウセンアサガオにはスコポラミンという麻酔の元になるアルカロイドが含まれているし、
イヌホウズキにもアルカロイドが含まれる。
というか、ナス科の植物にはアルカロイド系の毒を持つものが多い。
これを元に様々な薬品が作られている。
チョウセンアサガオは別名、曼陀羅華(マンダラゲ)というのだけれど、
これは仏教における四華の一つで、天上に咲き、見るものを喜ばせるのだそうだ。
一方、曼殊沙華は、見るものの心を柔軟にするらしい。
これ、実は軽い中毒症状になったときに起こす幻覚や、ラリってる状態に似ているのだそうだ。
中島らもは著書「アマニタ・パンセリナ」の中で詳細にこのことを綴っている。
一般的にチョウセンアサガオと言うと、華岡青洲のことを思い出す人のほうが多いだろう。
医学における貴重な発見をしたのだから。
ラリ公など、相手にはしない。
僕も然りである。
僕が彼岸花を綺麗、美しいと思ったとき、何にも予備知識はなかった。
無条件で美しいと思った。
今でも思う。
薔薇は香りがいいから好きだ。
向日葵は夏を表現しているから好きだ。
紫陽花は淡い色が艶やかだから好きだ。
彼岸花は、理由がない。
美しいから好きだ。
毒があろうとなかろうと、関係ない。
薔薇を愛でる人は、棘があることを知っていて、それすら美しいと思うのではないだろうか?
本当に美しいものに、理由はいらないと思う。
彼岸花は美しい。
いや、曼殊沙華は美しい。
早く咲き誇る姿を見たいと思う。
見ていると穏やかな気持ちになれるから。
September 21 日常やれ腰痛だ、頭痛だとなんだか面倒な体なのに、
ちゃんと仕事には行ける。よくできてるなぁ。
残業までしちゃって。
真面目だなぁ、俺(汁)
売り場面積に対して、人員が足りないから、
ちょっとは役に立ちたいじゃない。
仕事を終えて帰ってくると、郵便ポストに招待状。
来週、立教大学で開催されるミステリーフォーラムに今年も行ける。
僕はミステリーを書けるほど頭脳明晰ではないけど、
学ぶべきことはたくさんあるし、「47」を綴っていく上で、何か勉強になるだろう。
無論、将来的に役立つ。
何より、無料だし。交通費だけ。
あとは江戸川乱歩邸が公開されるから、また見てくる。
去年は勝手に撮影禁止だと思って、カメラを持っていかなかったんだけど、
周りはバシバシ撮影していて、泣きを見た。
ふふん、ケータイのカメラもぶっ壊れてるのだ・・・。
彼岸に入り、おじさんは旅立ったのだろうな。
僕の中では生きているけれど、やはりそれはあくまで僕個人の考え。
それに、じいちゃんが待ってるだろうし。
今頃はあいさつ回りも終えて、きっと楽しく一杯やってるだろうなぁ。
さて、今日は睡魔が襲ってこないから、「本業」に勤しみますか。
September 20 だめだ、こりゃ。mixiの日記に、個人的、総理大臣になってほしい人を書いたのだけど、
ちなみに麻生太郎、ハマコー、ギレン・ザビ(知らん人は知らんでいいでしょう)
とまぁ実質的には麻生太郎を推していたんだけど
やめた。
あの人が総理になっちまったら
ただでさえ鬱陶しいオタクたちが今以上に勘違いして増長する。
サブカルチャーがメインカルチャーになったら嘆かわしいというか、
恥だ。
なんというか、将軍様が喜びそうな行動をとってるから、気持ち悪い。
アリランかっつーの。
あれが日本の経済を支えてると思うと
ため息でちゃうよ・・・。
で、福田さんですか?
どーなんすかねぇ・・・
会議は踊る、されど進まず・・・
よく言ったものだ。まったく。
冷ややかな国民の視線に気づいてますか?
国会議員の皆さん。
それから、自称「鬼畜」を名乗る元少年を
さっさと死刑にする法整備、したら?
弁護してる阿呆もろともね。
あ~ぁ・・・
この国はど~なっちゃうんすかねぇ・・・
ダメだ、こりゃ。
September 19 僕のもらった賞小説家になりたいと、僕はここに何度も書いてきた。
ま、これからも叶うその日まで書き続けます。
かに座のB型は諦めが悪いようです(笑)
で、まぁ小説家を目指しているなら、何か文章が得意だったのかと
たまに聞かれるんですね。
「作文で賞とかもらった?」とか。
これがね~
ないのよ、一度も。
作文がらみで賞とかもらったことないんです。
文系だけど、そっち方面で賞をもらったとか、そういうことは一度もない。
まぁ中学の頃、市の連合文化祭に夏休みの自由研究が出品されて、
一応、賞状はもらったことがあるけど、それは太平洋戦争をレポートにまとめて、
被爆直後の広島をジオラマで再現したものに添えた、つまり趣味だったジオラマメインである。
リポートはけっこうお粗末だったと思う。日教組の教えに沿った。
ちなみに、そのときにもらった賞状には「賞」しか書いてない(笑)
老後、何の賞か忘れる可能性、大である。
そんな僕が文章を書き出したのは、4年ほど前くらいだろうか。
エッセイを乱読していたので、
「これくらいなら、俺でも書けらぁ」
という、自惚れから始まった。
だって、オーケンのエッセイがあまりにもくだらなかったから・・・。
そして、小説を書き始めたのが、2年前くらいかな。
暗~くて、よくわからんことを書いてます・・・とても人前には出せません。
仕事をしながら書いたものもあれば、仕事を辞めているときに書いたものもある。
そして、去年、処女作を書き始めて、見事に今年、スベッた。
ま、世の中そんなに甘いもんちゃいます。
まぁ今、自分で改めて読み返すと、あちこち荒が目立つし。
ただ、逆に言えば、直すところを直せば、もう少しまともになる気もする。
なので、今、手持ちには、「47」と処女作と、もう1作の計3本の原稿がある。
せわしないといえばせわしないけれど、
頼もしいといえば、頼もしい気もする。
そして、昨夜、職場で痛めた腰をさすりながら床についたとき、
ふと自分が、一度だけ、文章で懸賞品をもらったことを思い出した。
自己満足的に言えば、小さくて大切な賞だ。
これは、僕が生まれて初めて、できた友達に宛てた手紙でもらった。
友達の名前は「モンチッチ」
一人っ子の僕にとって、初めて出来た親友は、モンチッチだった。
幼い僕は、親友として、弟として、モンチッチと一緒に過ごした。
夜、眠る時は、必ず一緒だった。
僕にとって、本当に大切な存在。
そんなモンチッチが、数年前、結婚した。
僕より一足先に。
そして、ホームページで、祝福メッセージを公募していて、
応募者の中から100人に記念プレートをプレゼントするという企画があった。
僕は、なんというか、本当に親友の結婚式でスピーチするような、
本当に長い、そして心からの祝福をした。
「君のおかげで、俺はずいぶん救われた」と。
それからしばらくして、僕の元に宅配便が届いた。
「割れ物注意!」とある。
送り主を見て僕は驚いた。
モンチッチを生み出した会社だったからだ。
急いで、慎重に包みを開けると、中には記念のプレートが入っていた。
僕がモンチッチに抱く、愛情が通じた。
きちんとそのプレートはしまってある。
今は飾る場所がないから、時々出しては眺める。
もちろんこれは非売品。
なんとなく、モンチッチの引き出物をもらった気分だ。
ただ、唯一、気がかりなのは、僕が当時、大切にしていたモンチッチが見つからないということだ。
僕が処分するわけはないから、
家のどこかで眠っているのだろう。
もし、オカンが処分していたら、かなり恨む・・・。
あの頃は名前をつけていなかったから、
見つかったら名前をつけてあげようと思う。
恋人を抱いて眠れない夜は
モンチッチを抱いて眠る夜がある。
26にもなってと思われるかもしれないけれど、
別に笑いたければ笑えばいい。
イメージに合わないと思われても構わない。
これを読んでいる方は、ほとんど勝手に僕のイメージを作り上げているのだろうから。
誰が何と言おうと、これは僕が文章でもらった賞だ。
大切な存在への想いを込めた結果だ。
だからきっと、いつか僕の想いは日の目を浴びると信じている。 運命昨日、僕は前世を信じないとここに綴った。
なので今日は信じているものを綴ろうと思う。
また長くなるだろう。
僕が信じているのは「運命」である。
「宿命」とも言う。
僕は所謂、「運命論」で人生を見ている。
「決定論」にいくまで冷めてはいない。
運命論というのは、この世に起こるあらゆる出来事、
僕個人で言えば、出逢いと別れ、自分の未来、今、抱えている病。
そういった諸々の事柄、一切があらかじめ運命の名の下に支配されているという考え方である。
今、こうして小説家を志しているのも運命であり、
愛すべき人達に出逢えたのも運命。
同時に生涯、悩まされるであろう持病もまた、運命。
今まで散々、ずっこけてきたのも、運命。
そういう風に思っている。
運命には逆らえない。
そう信じている。
ただ、自分のことならともかく、他人のことになると
僕はあまりこの考え方を前面には出さない。
例えば「生まれつき心臓疾患があって長くは生きられない子ども」に
僕が出逢ったとき、
「運命だから、これも。」
などと酷な事を言うほど冷めてはいない。
だから、今、世界で起こる争いや、疫病、飢餓などをTV越しではあるけど、目にすると
「どうして運命というのはこんなに残酷なのだろうか?」
と思う。
僕の場合、大局的に物事を見るときに、「運命論」は切り出さない。
あくまで僕個人に関わる、まぁ要するに僕の人生に直接、関わってくる事柄だけを「運命論」で片付ける。
なぜなら、大局的な事柄を運命論で片付けると
「争いは消えない。今日も飢えでたくさんの人が死んでしまった。近代医療があればたくさんの人が笑顔になったのに。」
と厭世観でいっぱいになって、それこそ、うつになってしまう。
これは精神衛生上、あまりよろしくない。
ご都合主義と思われるかもしれない。
何度も言うけれど、僕はそんなに冷めてないのである。
あくまで僕個人の人生におけるものである。
僕が今まで経験してきた、友情、恋、裏切り、失恋は全て運命だと思っている。
そこから様々なことを学んできた。
当時は辛かったり、楽しかったことも、
後になって振り返った時、「今」という状態にいたる布石だったと思う。
僕がこういう人間になるためにわかりやすく言えば、
予めシナリオが用意されていたと思う。
振り返った時にそう思うのだ。
例えば、僕は持病を抱えているわけだけど、
この病になったおかげで、苦労はしている。
と、同時に、人に対して寛容になれたというか、優しくなれるようになった。
だから親友が困っていて、僕が何かしらの力を貸した結果、解決すると、
「うむ、俺とあいつはこういう運命だったのだな。」
という風に思うわけである。
当然、逆もあるけど。
まぁ失恋でも鉄拳でも何でもいいんだけど、袂を分かつことになると
「ふむ・・・辛いけど運命だから仕方ない。」
という風に思う。
とはいえ、時々は運命を呪う。
「これがもし運命ならクソッタレな運命だ」
と思うこともしばしば、ある。
まぁ大体、後になって振り返ると、先に書いたように、今に至る布石なのだなと思えるんだけど、
その時は、なかなかそうは思えないものだ。
持病にしても、最初は呪った。
けど、考えてみれば僕は死に至るわけではないし、薬を飲みつつなら、生きていける。
幸せなほうじゃないかと思っている。
失恋なんてのは、呪うほどのことじゃねぇなぁと思うし。
ただ、これが死別だったら、話は別だ。
もしも、僕の恋人や、親友が、病や事故で命を奪われたら
僕は運命を呪うだろう。絶対に。
それこそ運命論なんて捨ててしまうかもしれない。
けど、それは本当に最低な結果が出た時だろう。
どっか頭のイカれた奴に命を奪われ、無罪放免とかね。
まぁもしもそんなことが起これば、僕の行動も想像がつく。
そうなったら、そうするのが僕の運命なんだろう。
僕が今、もっとも恐れていることは、
恋人を失うことだ。
僕の最高の理解者であり、最愛の人。
恋人を失うことは、僕にとって今は絶望を意味する。
もう僕と恋人が心のすれ違いで離れることはない。
従って、恋人が僕の前から去るとき、それはどちらかの死を意味する。
だから僕はその運命を恐れている。
恋人のお母さんは、30代でこの世を去っている。
恋人にその可能性がないことを否定できない。
だから僕は運命的に出逢った二人なのだから、
もしも、その兆候が現れたら、二人で変えていくと決めている。
運命を変えてみせようと決めている。
そして僕が目指している小説家。
色々な夢を見ては諦めを繰り返してきた。
そしてようやく、僕は何が何でもと思える夢に出逢えた。
日々の糧を得る仕事にも就くことが出来た。
あとは未来を描くだけ。そのための努力をするだけ。
もしも運命がそれを拒むなら、運命を変えてみせる。
乗り越えてみせましょう、あらゆる苦境を。
嘗め尽くしましょう、辛酸を。
飲み干しましょう、煮え湯を。
未来への布石なのだから。
僕の運命が大きく動く時、少しでいいから
ほんの少しでいいから
世の中が落ち着いたらなぁと思う。
少し、おこがましいかな。 September 18 あなたはあなた。あなたはお前。あなたは君。あなたの笑顔を見ると
僕は生まれてきてよかったと思う
あなたの怒った顔を見ると
僕は自分の未熟さを知る
あなたが悲しむ顔を見ると
僕はやりきれない想いでいっぱいになる
あなたと話していると
僕はたくさんの事柄を知ることが出来る
あなたが困っていると
僕は自分のことよりも困ってしまう
あなたが苦しんでいると
僕は代わってあげたくなる
あなたは僕にとって大切で
かけがえのない存在
愛するあなたへ
愛するお前へ
愛する君へ
一途バカ 前世時々、見かける、耳を通り過ぎる、この言葉。
あまり僕は信じていない。
何を持って前世というのかわからないから。
僕が、前世で人だった保障はない。
オケラだったかもしれないし、ミトコンドリアだったかもしれない。
あるいはシロナガスクジラだったかもしれないし。
ドードー鳥だったかもしれないし、ゴキブリだったかもしれない。
前世というのは、曖昧すぎる。
人は輪廻転生を繰り返すと言われているが、これは仏教やヒンドゥー教などの話。
キリスト教などには存在しない概念である。僕の知るかぎりでは。
そして、この輪廻転生もまた、人が人に生まれ変わるとは言っていない。
いわゆる六道があるからだ。
六道、すなわち地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天。
ここでいう地獄とは、キリスト教のものとは異なる。
仏教における地獄とは、現世で悪行のかぎりを尽くした者が、
死後、その報いを受ける場所であり、ここでは途方もない時間をもって、償わなければならない。
地獄は一般的に八層からなると言われている。
等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、阿鼻、もしくは無間地獄である。
当然、下に行けば行くほど、責め苦は厳しくなり、最下層である阿鼻地獄または無間地獄と呼ばれる階層は、
樹木は全て剣、山は全て刃といった、凄まじき場所である。
さらにここで釜茹でにされたりと、とにかく想像を絶する責め苦が待っている。
一説では、ここまで落ちると、永遠に出られないとも言う。
よく、下が見えないくらい深い穴に落ちることを
「奈落の底へ落ちる」というけれど、この「奈落」は地獄のことを言う。
つまり、地獄というのはそれだけ深い。
では、地獄以外の道はどうなるか。
餓鬼道に落ちると、永遠に飢える。
食べても食べても満たされず、永遠に飢える。
一説には、目が見えなくなったり、嗅覚、味覚などが奪われたり、
或いは手などを失い、飲食ができなくなるという説もある。
これもある意味、地獄である。
畜生道は、餓鬼、地獄に比べれば遥かにマシである。
なぜなら、現世に戻れる可能性があるからである。
畜生道に落ちると、禽獣、つまり鳥や獣として生まれ変わると言われている。
当然、これも生前の悪行を償うためである。
「犬畜生」とか、「こん畜生」と罵るのは、ここから来ている。
今では若干、「お犬様」に近いけれど、それはここ最近の話である。
そこからもう少し上に上がると、
阿修羅道、一般的には修羅道と呼ぶほうが多い。
ここでは人間以下という扱いを受け、絶えず闘争、戦を繰り広げている。
阿修羅は仏像などで拝むことがあるけれど、これは阿修羅の二面性をあらわす。
仏教では天竜八部衆という仏法を護る鬼神なのだが、
一方で大変、闘争を好むという解釈がされている。
これは、おそらく帝釈天の影響と思われる。
帝釈天はインドではインドラと呼ばれており、平たく言えば雷様である。
元々、インドラは悪神だったが、仏教に入って改心したと言われているからだ。
話がそれた。
こういった背景があり、修羅道では永遠に戦が続くという解釈になっている。
ちなみに戦死しても、甦り、また戦に駆り出されるシステムである。
そして悪行を行わず、きちんと道徳を守って生涯を過ごした人が、
人間として再び現世に戻ることが出来るのである。
つまり、人間として生まれ変わるためには、かなりの努力がいるわけである。
従って、最高位である天道に行くのは、善行のかぎりを尽くさなければダメなのだろう。
ただ、天道に入ると、絶対に次は天道に戻ることはないという。
つまり人として、世に出るわけだろう。
ちなみにこの天もかなり階層が別れているが、綴り出すとキリがないので、端折る。
知りたければ広辞苑などにも載っているだろう。
さて、これが仏教のおおまかな流れである。
これを見ると、人でいる確率が物凄く低いことがわかると思う。
また地獄に落ちたら最後、餓鬼道に落ちたら最後と思うかもしれないが、
ちゃんと救い主はいる。お地蔵様である。
正確には地蔵菩薩なのだけど、よく、6人で並んでいる姿を見かけると思う。
これは六道を見回り、救われるべき人が苦しんでいないか探してくれているのだ。
ありがたいことである。
では、キリスト教の世界はどうか?
基本的にまず、キリスト教は選民思想であることを前提に話を進めなければならない。
つまり、信者でなければ救われない。
そう考えるほうが自然だろう。黙示録などを読むかぎり。
信者は、死後、天国に行く。
ただし、救われない魂は地獄に落ちる。
キリスト教の世界には地獄が2種類しかない。
一つは煉獄。ここは己の呵責を繰り返すことで罪が浄化されて天国へ行ける魂が行く場所である。
では地獄はというと、こちらは未来永劫、責め立てられる。
ちなみにこの基準はダンテの「神曲」に登場する、「7つの大罪」を犯した者が行くという。
この地獄を統括しているのが、サタンとか、ベルゼバブとか、あるいはルシファーと呼ばれる悪魔である。
ここには神の力も届かないという。
この悪魔たちは元、天使というのが一般説である。いわゆる堕天使である。
新約聖書で大暴れするのは、彼らである。
元の居場所である、天国へ戻るために、彼らは神に反抗する。
ただし、キリスト教徒で地獄に落ちるというのは、本当にどうしようもない悪人のみとされる。
なぜなら、懺悔というシステムがあるからである。
従って、七つの大罪を犯さないかぎりは、ひどくても煉獄という話を以前、聞いた。
ただし、キリスト教の地獄観は諸説あり、上に挙げたのは一般的な例である。
さて、話を本題に戻すとしよう。
まずこれで輪廻転生があくまで仏教に基づいたものであることがわかったと思う。
お釈迦様の生まれ変わりを信じてしまうのは、仏教国のみである。
イエスは甦ったが、イエスのままだった。
たまに自称「イエスの生まれ変わり」が現れるが、いるわけがない。
イエスはゴルゴダの丘で処刑された後、甦りはしたが、その後、行方不明である。
もしかすると、まだ生きているかもしれない。生死不明である。
マリアの生まれ変わりというのも聞かない。形容詞としては聞くが。
何が言いたくてこんなに長いことを書いているかというと、
僕の前世が、十字軍だったとか言われても信用しないためである。
来世を描かないキリスト教の世界と、来世を描く仏教の世界は、相反する。
で、肝心の僕は無信仰、無神論者である。
長々と書いたけれど、まぁ気をつけましょうくらいにしか思っていない。
現世は現世、来世は来世である。というか、来世なんか知らん。
今、僕の寿命がどのくらいかは知らないけれど、
その寿命を精一杯、生き抜くことができたら、それでいい。
だって前世がどこぞの王子だったとか、貴族だったとか言われても、
今にまったく影響しない。偉くなるわけでも、金持ちになるわけでもない。
ただの依存でしかない。屁みたいな。
「俺の先祖は家老だった!」みたいなどうでもいい肩書きである。
だから、僕は人と違う死生観を見出したのだと思う。
僕が見送った、愛する人たちは、僕の心の中で今も、生き続けている。
死を受け入れられないのではない。
死を悲壮なものにしていないだけだ。
だから、じいちゃんも、おじさんも、hideも僕の中で生きている。
恋人の中には、恋人の大切な人たちが生きていると思っている。
もしも、僕と恋人が結婚して、子どもを作らなかったら、
愛すべき人たちはいずれ、僕の死と共に消えてしまう。
そう思うようになった。
子を産むというのは、生きる場所を継承する儀式。
ちょっと仰々しいけれど、そんな風に最近、思う。
僕には前世などありません。いりません。
今を幸せに生きることが、一番の救いであり、
それは僕が愛する人、そして愛してくれる人達がいて、成立しています。
それに
終わらない戦争、なくならない飢餓。
すぐそこに人の業が溢れています。
もう、これ以上、悲しみは、傷は、
必要ないと思う。
それとも、ここは煉獄、或いは地獄?
ドコニイルノカサエキヅカナイボクラ。
待ち合わせ雑文「PM7:30のcafe」 フレーバーティーを頼んだ私は、街を見渡せる窓際のソファーに腰掛けた。
南国の香り漂うフレーバーティーを珈琲の香り漂うcafeで飲む。
なんだか少し変な感じだけど、私は珈琲が飲めないから仕方ない。
なんというか、cafeの雰囲気が好きだから、最近はよく来ている。
人間観察や物思いに耽るのが楽しくて。
今日は連休の中日、しかも夜というせいもあるのかもしれない。
cafeの中は恋人たちで溢れている。
たくさんの想いや、考えが私の頭の上を飛び交っている。
そんなcafeで私はどうでもいいこと、とりとめのないことを頭に浮かべては消しを繰り返している。
とりあえず、鞄から今日、買った本を取り出して読み始めたのだけど、
数行読んで、私はすぐに本を閉じた。
小説の主人公が、メンソールに火をつけたから。
ヘビースモーカーの私は、こうして小説や、映画の中でタバコを味わう描写が出てくると、
パブロフの犬よろしく、タバコが吸いたくなってしまう。
だから、映画は大好きなのだけど、映画館にはあまり行かない。
DVDになるのを待って、家でゆっくりと観ることの方が多い。愛煙家の悲しい性。
そしてここのcafeは居心地がいいのだけれど、唯一、私にとっては欠点がある。
それは、禁煙ということ。
だからここで小説の主人公がメンソールをくわえて歩く描写に触れるのは、少し、キツイ。
だからといって、このフレーバーティーが飲めて、快適で、タバコが吸える場所を探すのは無理。
だから私は、意識を別の場所へ持っていった。
頬杖をついて、目の前に広がる、眠らない街を眺めた。
私の住まいは少し離れているから、ここに来るのは久しぶり。
何となく、私の住んでいる街より、テレビや雑誌で見たような格好をしている人が多い気がした。
ふっとcafeの中に視線を移すと、一人の男性と目が合った。
私は「貴方にはこれっぽちも興味はないの」をめいっぱい表情に出して、視線を街に戻した。
若い男性たちが、なにやら騒いでいる。きっと何か楽しいことでもあったんだろうな。
路肩に腰掛けたカップルは、どうしてそこにいるのかはわからないけれど、
きっとそこにいるのが幸せなんだろうね。
そろそろ、私はタバコを我慢できなくなってる。
フレーバーティーもすっかり空になっている。
私は席を立つと、ペーパーナプキンでテーブルをさっと拭いて、
cafeを後にした。
「路上喫煙禁止」と書かれた看板の前で私はタバコに火をつけた。
悪いのはわかってるんだけど、あまりにも喫煙者の立場が守られてないなって私は思う。
だからこのタバコは、ほんのささやかな抵抗。大人気ない、抵抗。
PM8:30、仕事を終えた彼氏が、笑顔でこっちに向かってきた。
そして、二人で眠らない街を後にした。
幸せな街へ帰りましょう。 September 16 hush私は時々
不安になってしまう
この口を開いて
この口から
貴方に話せなかった秘密が
もしもふと零れた時
貴方はいなくなってしまう?
黙っていたのは
貴方を失いたくなかった
ただそれだけでも
貴方は消えてしまう?
そう思えば
思えば思うほど
この口は重く
この口から
ますます言葉は遠のいて
貴方と離れてしまう
けれど話したら
貴方はきっと去ってしまう
ねぇどうしても
貴方はいなくなってしまうの?
秘密がないの?貴方は
私に全て話しているの?
隠し事ないの?貴方は
私は全て知っているの?
貴方を
黙っていたほうが
2人のため?
話したほうが
2人のため?
貴方を想えば想うほど
私の口は重くなる
hush hush
September 15 僕が生まれた街僕はもう長いこと横浜に住んでいる。
21年かな。
生まれたのはここではない。
僕が生まれたのは、東京都の外れ、国分寺。
3歳まで国分寺で過ごして、その後、1年、巣鴨の近く、北区の滝野川だったかな、そこで過ごして、
今のとこに落ち着いた。
ま、落ち着いたのは僕の両親であって、
ぼちぼち僕は自分の居場所を作らなくちゃならないんだけど。
僕が生まれた国分寺という街のことは、けっこう覚えている。
今ではずいぶん整備されている昭和記念公園も
僕が暮らしていた頃はだだっ広い公園だった。
野原という感じ。
ピクニックをしたり、凧揚げに行ったのを覚えている。
確か、ビニール凧で、パーマンの連凧だったと思う。
あとはローラー滑り台があったかな。
僕はこの頃、むちむちぷりんだったから、たまに太ももの肉がローラーで挟まれて痛かったのを覚えてる。
それからよく散歩に行った。
近所に遊歩道や使われなくなった引込み線があったから、
そこをよく散歩した。
今でも鮮明に覚えているのは、豚を飼っていた家があったこと。
ペットじゃなくて、もちろん養豚ね。
田舎だったんだなぁって思う。いい意味で。
電車が大好きだった僕は、よくオカンに頼んで、電車を見に行った。
場所は近くを走る、中央線の踏み切り。
たまに「あずさ」が走ってくるんだけど、それが楽しみだったな。
あの頃「あずさ」はまだ国鉄だったしクリーム色にえんじのラインだった。
「L特急」って呼ばれてた時代だ。知ってる?L特急。
たまに国立の駅も使った。
今はどうかわからないけど、あの頃、国立駅は、けっこう田舎くさい駅だった。
北鎌倉駅みたいな・・・って例えがローカルで分かりづらいな・・・。
無人ではないけど、駅舎が木造だった気がする・・・記憶違いかな。
僕が何より覚えているのは、とにかくよく転んだこと。
とにかく何もないところで転んだ。
頭がでかかったから、バランスが悪くて転んだんだろうなぁ。
しょっちゅう頭をぶつけて泣いたし。
自分でも一番、バカだなぁって覚えてるのは、
鉄棒に頭をぶつけて、いててって屈んで、
痛みが治まったとき、思い切り立ち上がって、思いっきり鉄棒に脳天をぶつけたこと。
これを何度かやってる。
ちなみに、脳天を強打すると、尾てい骨がジンジンしたのも覚えてる。
もしかしたら、あのショックで何かぶっ飛んだのかもしれない。
品行方正というものを。
僕が歩いた国分寺の街は、アスファルトより、土の道が多かったような気がする。
僕が暮らした国分寺の街は、ビルよりも、木が多かったような気がする。
横浜は、僕の暮らしている街は、森が多いけど、
横浜はビルばかりだ。空も狭い。海も汚れている。
綺麗な場所は全て人工で、自然のものは汚れている。
なんか、おかしいよなぁ。
星より明るい窓。
月より明るいネオン。
生まれた街が自然で溢れていたから、
暮らすのも、それなりに自然が多いところがいいなぁって思う。
憧れるのは鎌倉。
けど高いんだ、あすこは・・・。
なんでこんなことを考えているかというと、
もし僕と恋人の間に子どもが誕生した時、
できるだけたくさん、自然に触れ合える場所で育てたいから。
僕が親にしてもらったように、
お日様の下で、元気いっぱい育てて、
泥まみれになるまで遊ばせたいから。
小説家になったら、そういうとこの都合がつくし。
ま、取らぬ狸の皮算用なんすけどね。
ま、実現させますよ。
夢だもん。 ニコ中思わぬところに隠し金。
すぐにタバコを買ってしまう僕はすっかりニコ中。
まだまだ仕事に慣れていない。
が、先輩二人が今日、退職。
短い時間、売り場に立ったのだけど、
けっこうお客様からあれこれ聞かれる。
しか~し売り場の構造がまだ把握できていないから、もたつく。
問い合わせで多いのは、やはり演歌やニューミュージック系。
僕の知らないアーティストの名前がぽんぽん飛び交うので、
検索しまくる。
そんな中、鬼束ちひろのニューシングル、
「僕ら、バラ色の日々」が入荷した。
まだ店頭には出せないのだけど、一足先に新曲に触れることができて、
やっぱりこの仕事を選んでよかったなぁと実感。
18日に店頭に並ぶので、丁寧に扱おう。
たぶん、次、出勤する頃には、ブライアン・セッツァーオーケストラの新譜も入ってるはず。
これも丁寧に扱おう。
和幸が入ってきて、ちょっと気になる。
さてニコチンもまわってきたことだし、
頭を回転させますか。
I’m Music Junkie September 14 シケモクフィルムの中のヒーローが
オイルライターでタバコに火をつける。
その姿がカッコよくて
俺はタバコに憧れたね。
いつかは俺も
ロングトレンチを着て、
先のとがった革靴を履いて
タバコと一緒に夜の街を歩いてみたかった。
ステージの上のRockスターが
タバコ吸いつつ、ギターを弾く。
その姿がカッコよくて
俺はタバコに憧れたね。
いつかは俺も
ストラトキャスターかついで
でかいアンプで音出しながら
タバコと一緒にRock’n’Rollしたかった。
男がタバコに憧れるのは
みんな大体おんなじで
ちょいと背伸びがしたかったり
ちょいとワルぶってみたいだけ。
気づいたらそれがサマになってる。
そういうもんだと思ってる。
バーボンと一緒に。
バイクと一緒に。
ギターと一緒に。
ベッドで一緒に。
俺は19の時から同じタバコを吸ってるけど
今、手元にあるのはシケモクだけさ。
この年になってシケモク吸うほど惨めなもんはねぇよ。
カッコつけるアイテムのはずが
かえってカッコ悪くなっちまった。
だからお前とオサラバしてぇけど
彼女がお前とくっついてる。
お揃いのライターまである。
まぁ、なんだ。
いいわけだ。
でもなぁ
今度ばかりはマジでオサラバかもな。
けどお前はきっと
フィルムの中や、ステージの上から
俺を誘うんだろうな。
そんでもって
彼女がお前をくわえる。
誘惑してくるんだろうなぁ。
だから俺はシケモクなんざ吸ってるんだろうなぁ。
うまくもなんともねぇよ。
カッコ悪ぃなぁ、俺。 心地よい秋風眠い眠いといって寝てばかりいても無意味なので、
本棚とにらめっこをして、漫画ではなくて、活字を選んだ。
講談社青い鳥文庫の宮沢賢治童話集3。
これで何を読んだか分かったらすごいです。はい。
「銀河鉄道の夜」です。
何だか、ふっと手が伸びた。
「雨ニモマケズ」で始まり、「オツベルと象」「水仙月の四日」
「雁の童子」「なめとこ山のくま」「北守将軍と三人兄弟の医者」
最後に「銀河鉄道の夜」
久しぶりに読んだ宮沢賢治の魅力は、
やっぱり独特の擬音と造語。
どことなく不思議な雰囲気を醸し出しているのは、この宮沢賢治ならではの表現なんだろうな。
童話というのは、侮りがたくて、けっこう風刺が効いていたりする。
子どもが読むとメルヘンなんだけど、大人が読むと、身につまされるという話が多い。
同時に、成長するにつれて、鈍感になっていることに気づかされる。
想像力がなくなり、どこか殺伐としている自分に気づかされたり。
改めて「銀河鉄道の夜」を読んで思ったのは、
とにかく描写が美しいということ。
物語の根底にある儚さをどこか感じさせる、美しい描写。
ビー玉と宝石を色とりどりのガラスの上に散りばめて、水を流す。
再現するならこういう感じなのだけど、
きっと再現したら、物足りなくてかえってチープになるんだろう。
宮沢賢治は石が大好きだったから、宝石を使った描写があちこちに出てくる。
僕も男の癖にビー玉や、宝石が大好きだから、想像を膨らませる。
そこに映し出される世界、ジョバンニとカムパネルラがいる世界は
言葉では表現できないほど美しい。
物書きを志している者として、嫉妬を覚えるくらい。
この物語はきっと根底に別れがあるからこそ、美しいのだろう。
炎が消える一瞬、ひときわ大きく鮮やかに燃え上がる、その瞬間を描いているからだと僕は思った。
5年くらい前だろうか。
僕はオカンと恋人の3人で、東北旅行に出かけた。
その時、花巻にある、宮沢賢治記念館を訪れた。
その頃の僕はさして興味もなく、ただ変わった人くらいにしか思わなかった。
もう一度、行きたいと読み終えてから思った。
そして、宮沢賢治の著作に触れてみたいと思う。
すっと吹き抜ける秋風が、心に積もった埃を飛ばした気がする。
ニコチンと煤の積もった肺が綺麗になった気がした。
「星の王子様」や「銀河鉄道の夜」のように、いつまでも語り継がれる物語を
自分の力で生み出したいなぁと改めて思う。
いささか汚れた心ではあるけど。
秋風に吹かれながら、星を見上げております。
眠れる森の下克上眠い。
春眠暁を覚えずとは聞くが、
秋もそうなのだろうか?
昨夜、親友と不眠症の話をした。
話を聞いたかぎりでは、親友は入眠障害の可能性があった。
夜中に目が覚めるとかではなくて、
とにかく眠れない。
これが続くと、昼夜逆転してしまうので、
いくつかアドバイスをした。
で、まぁ僕も睡眠障害を抱えてるわけで、
僕の場合、睡眠過多になってる気がする・・・
仕事のある日は別として、
4時、5時に寝て、起きるのが14時とか、遅い時は15時。
10時間睡眠・・・。
もう寝すぎて眠いのか何なのかよくわからなくなる。
ちなみに今も眠い・・・。
これだけ眠いとたまに思う。
このまま目が覚めなかったりして。
睡眠って大事です。
頭がボケてて仕事が手につかないなんて事になったら大変。
と、頭で分かっていても・・・
眠いよぅ。
恋人の熱いキッスで目覚める下克上。
しかしその日はまだまだ先なのでした。
September 13 いやはや・・・タバコが吸えない、それも経済的なものが理由。
これをワタクシ、経済制裁と呼んでおります・・・情けない・・・
で、まぁこうして物を書いていると、タバコで一服したくなるわけです。
昼間、書いたとおり、タバコがないときは、寝て過ごしたりしてごまかすんだけど、
いや~、あれから夕飯まで寝てた・・・。
今も眠い・・・。
いっそのことタバコやめちゃおっかなぁ・・・
酒も飲まない、タバコも吸わない、賭け事はしない、女遊びもしない。
ん~クソ真面目。
案外、こういう生き方も悪くないかねぇ。珍しくて。
でも恋人はタバコやめないな、きっと。
横でぷかりと紫煙を燻らせる。
ん~お口が寂しいから、さっきからキャラメル舐めてます。
太るかも・・・。
いやはや、今日は食って寝てのダルダル生活。
明日はどーなるんだろー・・・ ちょっと気になること。僕はここの機能をあまりよくわからずにブログを書いているのだけど、
その中でも一番、わからないのが「RSS」というものだった。
実は、おとといだったかな、アクセス数が40とかになってて
「あれ?なんか問題発言でもしたっけな?」
と思ってアクセス履歴を見たら、
このRSSというやつで、僕のブログ記事を片っ端から収集してた。
どこの誰かわからないし、正直、パクりも気になったから、親友に聞いたみた。
親友もこのRSSというツールのことはよく知らなかったのだけど、
調べてくれた。
そして、推理してみた。
1、ストーカー。2、ブログマニア。3、パクり目的。4、企業などによる情報収集。5、公安。
という感じになったのだけど、
まぁ1はないなぁというのが、僕の考え。
周知の通り、僕はモテない男だからね。
で、2はまぁ荒らしさえなければ問題ない。
問題なのは3と4。
でもさぁ、思うわけよ。おいちゃんは。
人のブログをパクってまで、書かなきゃならんブログって無意味でしょうに。
おいちゃんの未熟な発想をプロが使うとも思えないし。
まぁ3なら、同情するね。
4なら、ちゃんとリベートを支払ってくれ・・・と思う(笑)
一応、少ない頭で考えてるんじゃ。おいちゃんは。
で、5なんですが、まぁ問題ないでしょう。
行商人がわざわざ僕の小説を読んでマークすることもないだろうし。
別にそういう思想でもないし。
ナイチョーさんとは無縁の人ですから。
で、まぁ色々と理由はつけたけど、
つまりは、気持ち悪いんですよ。
だからもうやらないでね。
ブックマークでお願いします。
あと、リンクも無断でしないでください。
けっこう、驚くんで。
さて、寝るか。 徒然「レトロ」を書き終えてから、
おそよ12時間たったわけですが、
さっき起きた。
なんというか、根性で寝てた感じ。
理由1
タバコがなく、財布の中は150円しかないので、寝てごまかす。
理由2
恋人と過ごす予定だったけど、恋人が風邪をひいてしまい、逢えなくなって、ちょいへこみ。
理由3
寝てるのが気持ちいいから。
という感じで、さっき、時間的に朝飯だか昼飯だかおやつだか何とも言えない時間に
食事をして、ちょっと血糖値が上がった。
で、また眠くなってきたのです・・・
ま~たまにはいっか。
総理大臣ですら、しんどくなったら辞めちゃうんだし。
心地よい音楽でも聴きながら横になろうっと。 |
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