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    January 23

    ない。ある。

    人生にリセットはない。
    電源もない。
    だから失敗したからといって、
    無かったことにはできない。
    全ての行動に責任がある。
     
    人生にゲームーオーバーはない。
    ジ・エンドもない。
    だから失敗したからといって
    諦めることはない。
    全ての行動を見直すことができる。
     
    人生にはリスタートがある。
    失敗しても、スタートラインをもう一度、
    勇気を出して引けばいい。
    全ての行動は
    自分自身で決めることができる。
    January 22

    ハートが震えた

    1月21日、ようやく待ち望んだ日が来た。
    ブライアン・セッツァー、布袋寅泰、Char。
    僕にとって最高のRockStar、布袋寅泰。
    日本Rock界のカリスマ、ギターの神様Char。
    グラミー賞受賞、ロカビリーの王様、ブライアン・セッツァー。
    3人が、目の前に立っていた。
    そして、魂をギターに込めて、
    僕らに最高の時間を与えてくれた。
     
    Charもブライアン・セッツァーも、生で見るのは初めて。
    テンションがあがりっぱなしだった。
    Charのギターは、ストラトならではの、
    いや、こんなに音が太くて、泣くストラトは初めて聞いた。
    そして、アコースティックギターは、本当に音抜けがよくて、美しくて
    まさに「気絶するほど悩ましい」
     
    ブライアン・セッツァーは予想以上というか、
    あのじゃじゃ馬、グレッチを巧みに使いまわし、
    一音、一音が楽しげだった。
    そして、エンターテイナーだった。
     
    布袋寅泰。
    僕が12歳のときに出逢い、
    それからずっと、背中を見つめてきた。
    ギターを抱きながら。
    その布袋寅泰が
    終始、笑っていた。
    ずっと笑顔で、夢が叶った嬉しさがあふれ出ていた。
    そんな姿を見ていたら、
    「あぁ、生きていて、そしてギターを弾いていてよかった。」
    と心から思った。
     
    僕はこれからもギターを弾き続け、
    夢を追いかけ続け、
    Rock’n’Rollに生きていく。
     
    ありがとう、布袋さん、Charさん、Mr.ブライアン。
    ありがとう、大ちゃん、チャマ。
    そして、
    ありがとう、MySweetHoney☆
    January 17

    百里霧中

    僕が進んでいる道は
    前が見えない。
    濃い霧がかかっていて、
    まったく前が見えない。
    ギターを背負って、原稿を抱え、彼女の手を引いている。
    時々、霧の中から、友人が出てきたり、
    布袋のGIGを見つけたりする。
    向かい風が強くて、
    似たような人が、風に負けて、転がっている。
    目を凝らして、よく見ると、
    遠くに直木賞とか、ノーベル文学賞なんて文字が見えるような気もする。
    道幅が狭いのか、広いのかもわからない。
    一歩先が崖かもしれない。
    それでも歩みを止めるわけにはいかない。
    この道にはゴールなんてなくて
    その代わり、スタートラインなら、いくらでもある。
    霧はかかったままだけど。
     
    ゴールが見えたら
    僕は歩みを止める。
    文学賞は、あくまで通過点に過ぎない。
    といっても、通過すら、危うい道。
     
    僕は
    自分を見失ったり、
    自分のアイデンティティーが見出せない、
    そんな人たちが
    失ったもの、必要なものを
    僕の小説を読んだことで
    取り戻したり、手に入れたという人が
    一人でもいれば、
    それでいいと思っている。
     
    その人の霧が晴れれば
    僕の霧も、少しは晴れる。
    容易ではないけれど。
     
    百里霧中
    いや、千里霧中かもしれない。
     
    遠ければ遠いほどいい。
    それだけ僕の人生には楽しみが待っているということだから。
    さ、歩くか
    January 13

    琥珀の缶詰

    僕は、いつか、今、傍にいる人と、結婚する。
    恋人。
    おかしいな、この響き。
    だって愛し合っているわけだから、恋の段階は終わったんだ。
    けど、日本で愛人っていうと、いわゆる妾のこと。
    いい言葉が見つからないな。
    伴侶が一番、適切なのかな。
    ま、肩書きなんかどうでもいい。
    愛し合っている事実があれば。
     
    そんな僕にも
    忘れられない人が一人、いる。
    今も、その人のことを想うと、胸がくっとなるし、
    たら、れば、が山のように出てくる。
    こんなことを書くと、指を指して
    「浮気者!」
    とおっしゃる方もいらっしゃるだろうけれど、
    以前も書いたように、この想いは極めてプラトニックで、
    下心は皆無なのだ。
    ま、それでも浮気者と言うなら、勝手に言ってくれ。
     
    別に僕は、この人と恋人同士になったわけじゃない。
    僕がただ、片想いをしていただけだ。
    もっとも、本気で想っていたので、
    愛にヒビが入りかけたけれど。
    それでも、想いは募るばかりだった。
    二兎を追うもの一兎を得ず。
    そんな古臭い言葉が、頭をよぎった。
    先人の言葉というのは、時に、身をもって、ありがたさを知るのだと気づかされた。
    だから、僕はその想いを缶詰にして、心の奥底にしまった。
     
    あれから、何年か経ったけれど、
    今でも時々、思い出す。
    缶詰にしたのに、時々、思い出す。
    不完全燃焼で、缶詰にしたのが、悪かったのかな。
    僕の諦めの悪さなのかな。
     
    もう、たぶん、二度と逢うことはない。
    逢ったところで、何も起こらない。
    話すこともない。
    なのに、僕は思い出してしまう。
    そして祈ってしまう。
    「幸せになったかな」
     
    いつか、僕も
    肉体は大地へ、魂は天へ還る。
    その時、この缶詰を取り出してみよう。
    その時、琥珀色になっていれば、
    なんだか安心できる気がする。
    錆びることなく、開かれることなく、
    缶詰、そのものが、琥珀のようになっていれば、
    想いが実った気になれそうだから。
     
    人生、こんな想いを抱く女性が、一人、いてもいいかなと思う。
    愛する人は、ただ一人なのだから。
    愛する人が、ダイヤのように輝いているのは、
    僕の中にある、琥珀色の缶詰のおかげかもしれない。
     
    心配しないでください。
    貴女とすれ違っても、振り返りませんから。立ち止まりませんから。
    ただ、心の中で、「ありがとう」と呟くだけです。
    January 11

    Rockと恋に落ちて

    僕がRockに出逢ったのは、12歳とかそのくらい。
    小学校の高学年だった。
    はじめはB’zとかを聞いていたんだけど、
    ある日、布袋寅泰の「さらば青春の光」を聞いた。
    すごくシンプルなRockで、聞きやすかった。
    そしてある日、ラジオを聴いていたら、「POISON」が流れてきた。
    強烈なベースのイントロ。
    歪んだギター。
    「あぁ、これがRockだ。僕が探していた音楽はこれだ。」
    直感的にそう感じた。
    次の日には、CDショップで「POISON」を手にしていた。
    何度も、繰り返し聞いた。
    今だから、わかるけれど、
    当時の僕にはイントロがベースで始まってるなんてわからなくて、
    本当に未知の世界だった。
    何より、布袋寅泰がどういう人かわからなかった。
    だからTVでその姿を見たとき、僕は、
    「Rock’n’rollやってる人ってかっこいいなぁ」
    と、純粋に思った。もちろん、今も変わらない。
    僕は5歳のときから、ずっとエレクトーンをやっていたんだけれど、
    あの日から、ギターに興味が湧いた。
    ずっと憧れの楽器だった。
    そして17歳のとき、念願かなって、フェンダーのストラトを手に入れた。
    左利きの僕には選択肢がそれしかなかったんだけど、
    今では、いい選択をしたと思っている。
    しょぼいアンプを買って、シールドをつなぐ。
    自分のイメージでは、
    「ギャーン」と歪んだ音が出ると思っていた。
    だってエレキギターだもん。
    でも、出なかった。というか、音すら鳴らなかった。
    とりあえず、TAB譜を取り出して、「POISON」のリフを弾いてみる。
    いわゆるオクターブ奏法なんだけど、その時は、まだ知らない。
    指が痛いなぁとか思いつつ、リフを弾いていると
    音が出るようにはなった。
    けど、何かが違う。
    ギャンギャンではなく、ペケペケみたいな音が出る。
    悩んだ。
    「あの音はきっともっと上手くならないと出ないんだ」
    なんて思ったりした。
    でも、一向にギャンギャンした音が出ない。
    不思議なもので、そうなると、あれだけ欲しかったギターなのに
    あっという間に熱が醒めた。
    しばらくほったらかし。
    それから半年後くらいに、エフェクターの存在を知った。
    「ディストーション」と「オーヴァードライブ」
    このエフェクターを使うと、音が歪むということが分かった。
    年明け、お年玉を握り締めて、楽器屋へ。
    BOSSのコンパクトエフェクターを買った。
    家に帰って、恐る恐る、つないで、音を出してみる。
    「ギャーン」
    あの感動は忘れない。
    その日から、僕は布袋寅泰のコピーを必死に始めた。
    「ソロは弾けないから、リフからいこう。」
    いつか弾けるようになると信じて、リフを弾きまくった。
    布袋寅泰のGIGにも足しげく通った。
    そしてフレットを凝視していた。
    コードやスケールは一つも知らなかった。
    ただ、ひたすら、布袋寅泰のリフを弾きつづけた。
     
    あれから、今年で9年目。
    高校でクソバンドを組んだりもしたけど、
    今は一人。
    Jam友達がいるから、それでいい。
    今では、コードもスケールも基本は押さえた。
    あの頃に比べれば、布袋寅泰のレパートリーも増えた。
    布袋寅泰に限らず、hide、ウルフルズも弾けるようになった。
    布袋寅泰のGIGには、毎回、足を運んでいる。
    今でもフレットを見つめてしまうけれど、それは少しだけ。
    GIG全体の雰囲気を楽しむようになった。
    今週末から、布袋寅泰のツアーが始まる。
    今回は、Charとブライアン・セッツァーを迎えてのVS形式。
    ギターやってる人間にはたまらないGIG。
    僕は1月21日、横浜アリーナで、その瞬間に立ち会える。
    生きていて、ギター続けていて、よかったと思う。
     
    僕の人生の半分はRockと共にある。
    好きなアーティストを挙げればキリがなくなる。
    そのくらい、Rockに惚れている。
    時々、彼女がRockにやきもちを妬く。
    そんな彼女もRockを愛する一人になった。
     
    Rockと恋に落ちたおかげで、僕は、
    一度きりの人生を満喫する勇気をもらった。
    自分の感情を表現する手段を知った。
    友情の大切さを知った。
    絆の大切さを知った。
    いや、
    生き方そのものを教えてもらった。
    ありがとう、Rock。
    愛してるよ。
    これからもよろしくね。
    January 08

    What Is Rock?

    Rock、それはかっこいいもの、かっこいいこと。
    音楽のみならず、スタイルであり、生き方である。
    そこに介在するのは、
    自分自身だけで、
    自分の感性を全開にして、そこに自然とひっかかってきて
    自分の価値観の基準になる。
    そこには宗教も、思想も無い。
    Rockには右も左も、神も仏も無い。
    あるのは、欲求と、衝動と、義と、抵抗。
    自分に価値観を押し付けてくる人間に抗い、
    自分の迷いを断ち切る術であり、
    何より快楽をもたらす。
     
    Rock、それは痛みを伴う。
    自分の傷をさらけ出すこと。
    それに同情なんて必要なくて、
    本当の孤独の意味を知る。
    本当に苦しいとき、悲しいとき、寂しいとき、
    自分自身で乗り越えることを知る術。
     
    いつの日か、自分がRockを愛してきたことが間違っていなかったと、
    自分に負けることなく、
    今日、こうして生きている現実に感謝できる心を持つことのできる日が来て、
    それが得がたい幸福だと気づいた日、
    Rockの道を歩んできてよかったと思うことができる。
     
    Sex Drag Rock’n’roll
    それは過去の戯言。
    自分に厳しく、人に優しく、馬鹿が付くくらい、お人好しで、
    自分が傷つくことを何よりも恐れていても、
    他人を傷つけるよりはマシだと思えて、
    どこまでもストイックに生きていける精神。
    その精神を磨くために出逢ったRock。
     
    僕は、こうして、誰の目にも触れず、
    言葉を紡いでいるけれど、
    無駄だとは思わない。
    誰かが、悩みを抱えて、自分の未来に不安を抱いて、
    僕の拙い、この文章を読んでくれるかもしれない。
    そして、何かを感じてくれるかもしれない。
    そう思って今日も僕は、言葉を紡ぎ続ける。
    自分自身のためにも。
     
    そう、Rockには答えなんてないのかもしれない。
    いや、答えはある。
    ただ、それは、僕が人生を終えるその瞬間まで分からないんだと思う。
    今はただ自分のRockを信じている。
     
    世の中に溢れている情報。欲望。争い。
    大事なことは、自分にとって、どの情報が必要で、
    どれだけ欲望を抑えることが出来て、
    世界の争いが、どれだけ悲しいことなのか、目をそらさないこと。
     
    この国は平和だ。平和ボケしていると言われるくらい。
    平和でいることは、悪いことじゃない。
    平和は、恒久的なものではない。
    自分に何が出来るか、考えることが大事なんだ。
     
    そのためのツールが、Rock。
     
    僕はギターを奏でて、歌を口ずさみ、小説を書いている。
    日本人でよかったと思う。
     
    こうして、自分の考え方が形成されたのは
    Rockに出逢えたから。
     
    僕にとってRockはすべての原動力。
    Rockに出逢えたから
    大切な友人を得た。
    大切な伴侶を得た。
    家族を愛する気持ちが生まれた。
     
    自分を信じること。
    相手を信じること。
    社会の矛盾に気づくこと。
    弱者に手を差し伸べる勇気。
    様々なことをRockから学んだ。
     
    もし、この僕の言葉に、何かを感じてくれたなら、
    僕は幸せだ。
     
    無論、これは僕にとってのRock。
    だから、貴方は貴方なりのRockを探してほしい。
    孤独を恐れないで。
    貴方がRockと出逢えたなら、
    いつかその孤独は報われるから。
     
    貴方にとって、2007年、
    涙より、笑顔が溢れる年になることを祈ります。
     
    今年もよろしくお願いいたします。
     
    What Is Rock?
    それは自分で探そう。
    僕のRockが貴方に合うとは限らないから。
    自分の感性を磨いて
    笑える明日を作ろう。
     
    Rock Is My Life
    December 30

    25thAnniversary

    クリスマスのために色々と仕込み、
    彼女と浮かれていたら、あっちゅーまに年末になってしまった・・・。
    小説を書きつつ、映画を見たり、ギターを弾いていたので
    ブログ更新を忘れていた。
    このままだと「僕は変態」で2006年、終わってしまうので、
    これは非常にとっても、かなり誤解を招くので、
    ここは一つ、しっかりと締めるとこは締めておこうと思う。
     
    今年で僕は25になった。四半世紀である。
    大げさな、と思う方もいらっしゃるかもしれないが、
    25年生きるというのは決して簡単ではない。
    当たり前のように生きていると思っているのは大間違いだ。
    25年間、特に怪我も無く、大病もせず、
    ひょろひょろと成長できたのは、実にありがたいことだ。
     
    25年を振り返ると、僕は幸せな人間であることに気づく。
    ちびっ子時代はおもしろおかしく過ごしてきた。
    小学生になって、いじめたり、いじめられたりしてきたけれど、
    今ほどひどくはなかった。
    Rockに出逢い、そのまま中学生になり、
    ギターを弾くことを夢見て、恋に憧れて、
    世間から少し浮いてはいたけれど、
    自我を持ち、体制に流されることに疑問を持ち、
    高校を退学。
    一年間、本を読み、音楽を聴き、GIGへ足を運び、念願のギターを手にした。
    そして定時制高校へ。
    そこで人間関係の難しさ、大切さを学び、
    一人の親友を得た。
    そして恋もした。
    僕は死ぬまで童貞なんじゃないか?という悩みも無事に解決した。
    同時に、恋の難しさと、女性の裏も見た。
    本当の孤独も知った。
    そしてギターを学ぶために専門学校へ進み、
    己の未熟さを知った。
    同時に人生の伴侶となる女性に出逢った。
    それからは愛する人と暮らしていくための努力をしてきた。
    色々な仕事に就いて、辞めてを繰り返して
    自分が、いわゆるホワイトカラーに向いてないことに気づいた。
    一途に愛する人のことだけを想っていると自分で思っていたけれど
    そうじゃない時もあった。
    一度だけ、恋に堕ちかけた。
    そして煩悩を断ち切るすべを知った。
     
    今、こうして小説家を目指して、日々、精進できるのも、
    親の理解と、愛する人の理解あってのもの。
    幸せだ。
     
    カズへ
    Rockに導かれ、今まで共に過ごしてきた。
    俺らにとってRockは生き方、考え方になっている。
    カズとJamるのが楽しみで仕方ないよ。
    ま、唯一、心配なのは女っ気の無さだけど、
    そればっかりは時間の問題だから、見守ってるよ。
    いつでも相談にのるよ。
     
    メグへ
    俺の周りで最も早く家庭を持ったね。
    小学生のころから、ずっとボーイスカウトで苦楽を共にしてきた。
    今じゃすっかりいいパパで良き夫。
    これから先の人生、お手本にさせてもらうよ。
     
    兄ちゃんへ
    布袋のGIGで知り合って、すぐに仲良くなれたよね。
    一緒にJAMったり、相談に乗ってくれたり。
    そんな兄ちゃんが結婚して、素敵な家族に出逢えたことは、自分のことより嬉しかったよ。
    これからも兄ちゃんでいてね。
     
    チャマへ
    チャマと出逢ったのも、布袋のGIGだったね。
    一緒にJAMったら、グレッチやゼマティスコピーモデル、
    ついにはホワイトファイアー持ってきてさ。
    驚いたのなんの。
    何しろ俺はレフティーだから、シグネチャーモデルが一切、買えない。
    俺の憧れているギターを目の前で弾いて、音を聞かせてくれるチャマは
    一番身近な、ギターヒーローだよ。
    また近いうちにJamろうね。
     
    Keep on Rock!Dear My Friends!
     
    最後に
    僕が本気で恋した女性へ
    北の果てで暮らしてる貴女
    高校を出て、どこに行ったかわからない貴女
    同じ横浜で、職場で出逢った貴女
    どうか幸せになってください。
    いつかどこかで、また出逢った時は
    もう振り返らないから。
     
    My Sweet Sugar Honey Baby Angel
    いつも傍で
    微笑んで
    支えてくれる
    愛してるよ
     
    それからこのブログを読んでくれた方へ
    ありがとう。
    2007年が貴方にとって良い年になることを願っています。
     
    それでは皆さん、良いお年を・・・
    December 13

    変態だった(一部エロティシズムな表現があります。ご了承ください)

    夜、テレビをつける。
    バラエティ番組でグラビア畑の女性が司会者に尋ねられている。
    「○○ちゃんはS?それともM?」
    「○○ちゃんは何フェチ?」
    まぁ最近、当たり前のようになった質問をする。
    女性も
    「え~私は~Mかな~」
    「私って~めがねフェチなんですぅ」
    と簡単に答える。
    たぶん、誰もが一度は耳にした事のあるやりとりだと思う。
    僕は合コンに行かないから知らないけど
    同じような会話がされてるかもしれない。
    日常的なやりとりになっている。
    けど、僕はこの会話は、ド変態がする会話だと未だに思っている。
     
    「サディズム」というのは、ご存知の方も多いとは思うけど
    フランスの作家、通称「マルキ・ド・サド侯爵」の名に由来する。
    この人はいわゆる名家の出身で父は伯爵である。
    しかしながら1768年に女性虐待事件を始め、
    スキャンダル、筆禍事件などで何度も監獄生活を送った。
    最終的にはシャラントンにある精神病院で一生を終えたという破天荒な生き方をした人物である。
    この人は当時としては珍しい無神論サイドから物事を見ていた。
    従って既成概念、既成道徳を超越したエロティシズム哲学を持っていた。
    おそらくこういった人物背景が元となり、「サド」すなわち「S]という単語が生まれたのだろう。
    ただ、今の時代、「サディズム」という言葉の本意を知った上で使っている人はどれだけいるのだろうか。
    「サディズム」の概念とは、いわゆる異常性欲であり
    異性を虐待、肉体的、精神的に苦痛を与えて性欲が満たされるという性癖のことで、
    軽い人は、鞭打ち、緊縛、言葉による陵辱などで済むらしい。
    しかしながら、
    快楽殺人、死姦、放火などの超異常性癖の人もいるわけである。
    つまり「ドS」とはこういう人のことを言うわけである。
    対する「マゾヒズム」の方々というのは、「サディズム」の軽い症状の方々に扱われるのを好むタイプを言う。
    語源はオーストリアの作家、ザッヘル・マゾッホが書いた小説にいわゆる「マゾヒズム」傾向の人物を描いたことに由来する。
    「マゾヒズム」の人というのは、鞭で打たれたり、縄で縛られたり、言葉で責められるとオルガスムスに達する人なのであって
    決して、殺されたり、死姦されたり、なんてことは望んでいない・・・と思う。
    すなわち「ドM」とは、あくまで虐待されることを望む人のことをいう。
    従って、「ドS」の人と「ドM」の人が性行為に至った結果、
    「ドM」の人が死んでしまったという事例は結構ある。
    海の向こうの話ではない。日本でもざらにある。
    江戸川乱歩の代表作、「D坂の殺人事件」は、この「SとM」についてよく描いている。
     
    つまり、気軽に「私~超Mなんです~」と言って、たまたま知り合った相手が
    本当に「ドS」で殺された挙句に、食われちゃっても、文句は言えないわけである。
     
    フェチ、正確には「フェティシズム」
    元々はポルトガル語で護符や呪具を意味するフェティソという言葉から来ている。
    この「フェティシズム」という言葉には意味がいくつかある。
    さまざまな分野で用いられる言葉なのである。
    宗教学においては、材質は問わず、持ち運びできる程度の物体に、超自然力が宿るとする信仰を「フェティシズム」と呼ぶ。
    心理学においては、異性の髪の毛や爪、排出物、衣服などに異常な愛着と興奮を示す性的倒錯のことである。
    経済学では、物神崇拝と訳し、人間関係が物的関係に転化してしまう資本主義経済の性格を特徴づけるため、マルクスが用いた言葉。
    そして、この3つは人間本来が持つ、シンボル化能力に基づく点で共通しているため、ありとあらゆる文化に通底している本質的現象という考えもある。
    ものすごく難しく書いたのは、百科事典からの丸写しだからである。どうかご容赦願いたい。
     
    こうやって「フェティシズム」を辞書で引いてみると、今、一般的に用いられている「フェチ」とは
    心理学で用いられている「フェティシズム」であることが分かる。
    たまに「フェチ」の語源は「フェティッシュ」だという人もいるが、
    「フェティッシュ」というのは、護符や呪具などの呪術的効果のあるものの意味であるため、
    正確には「フェティソ」が正しい。もっとも、意味としてはどちらも同じなので間違っているわけではないけれど。
     
    さて、この「フェティシズム」だけれども、こうやって読んでみると、かなり異常である。
    髪の毛、爪、排出物、衣服。
    つまり、異性自体よりも、個々のパーツに異常な興奮を覚えるわけである。
    要するに、爪を見てオルガスムスに達したりできるわけである。
    衣服というのがまぁたまにお見かけする下着泥棒さんなのだろう。
    わからないではない。下着というのは、肌に密着しているわけで、
    まぁ布切れ一枚の先には禁忌が隠されているわけだから。
    女性の下着泥棒が現れないのが不思議だが・・・。
     
    「フェティシズム」というのは男性に多い気がするのは僕だけだろうか。
    女性の下着泥棒がいないのを始め、男性の髪の毛を切る女性の通り魔というのも聞いたことが無い。
    男性トイレに隠れていた、もしくは盗撮していた女性というのも聞いたことがない。
    往々にして、本来の「フェティシズム」を持っている男性は、女性から
    「キモい」とか、「あり得ない」という冷たい視線を送られるか、逮捕されちゃうかのどっちかである。
    そうなると男性が「フェティシズム」により快楽、オルガスムスを得るためには、女性に理解してもらうしかないのである。
    男性はどういうわけか、性欲に関して、苦労することが多いのだけれども、
    こういった性癖などを持っている人は、二重の苦労を味わっているのだと思う。
    もっとも、同情はしないけれど。
    犯罪行為に至るような性癖は危険でしかないし、迷惑である。
    生まれ持った性癖というのは存在しない。
    その人が、成長していく過程で、何かのきっかけがあって、異常性癖になるのだから。
    我慢するか、理解ある人を求めるか、病院に行くしかない。
     
    さて、これを読んでくださった紳士淑女の皆様。
    貴方は本当に「サディスト」ですか?
    貴方は本当に「マゾヒスト」ですか?
    貴方は本当に「フェティシズム」な部分をお持ちですか?
    もし、そうではないなら気軽に使わないほうがいいですよ。
    気軽に用いた代償が「死」につながるかもしれませんから・・・
     
    「ちなみに僕は小学生時代から江戸川乱歩を読み耽っていたので
    変態になりました。
    女性の「ふくらはぎ」と「下着」に興奮を覚えます。
    「サディスト」でも「マゾヒスト」でもありませんが
    江戸川乱歩の「芋虫」を読むと性的興奮を覚えます。
    と、言うと周りから偏見や冷たい視線を浴びるんです。」
    けど
    「ん~ふくらはぎフェチかな。あとはちょい下着フェチ。
    「S」でも「M」でもねぇけど、あえて言うなら、やや「S」かな。
    乱歩の世界観は好きだね。変態っぽくて。」
    というと、風当たりが弱まります。
     
    オブラートに包んだほうが良いときと
    包み隠さず話したほうが良いときと
    きちんと把握していないと難しいですね。
    世の中に色んなことが、浸透したおかげで
    僕は変態なのに
    「変態だった」になってしまいました。
    いいんだか悪いんだか・・・
    December 11

    ちょっとした贅沢

    僕の視力は2.0。少なくとも1.5はある。
    コンタクトレンズ、めがねともにご縁のない人間だ。
    まぁいつかは老眼鏡をかけるだろうけど・・・。
    そんな僕はアイウェアをたくさん持っている。
    サングラスもある。
    ちゃんとこだわりがある。
    サングラスはレイバン。
    2つ持っているけれど、程よい重さと、顔にフィットする感じがいい。
    何より、フレームアウトしないので夏も冬も重宝する。
    日差しがきつい昼も夕方も、レイバンのおかげで楽勝である。
    値段はちと高かったけど・・・。
    アイウェアは去年、奮発した。
    憧れのアラン・ミクリを買った。
    スーツを着ているときにはかかせないアイテム。
    かけているだけで、ものすごくインテリに見えてしまう。
    けど、本当は馬鹿だから黙って佇んでいるのが良い。
    スーツより高いけど、なんだかスーツまでいいものに見えなくもない。
    こういうのを贅沢と言うのかな・・・

    知るは地獄、知らぬも地獄

    「知らぬが仏」という言葉なら、一度は耳にしたことがあるだろう。
    よく使う、ことわざだと思うのだけれども、
    果たして正しい意味は知っているだろうか?
    多くの場合、「知らないほうが幸せだ」みたいなニュアンスで使っている人が多いと思う。
    余計なことは知らないほうがいい。
    これは間違った使い方なのだ。
    正確には「当人だけが知らずに平気でいる様を憐れみ、嘲っている」
    ということらしい。
    つまり知らぬが仏の精神論を説く人は自虐的というわけだ。
    同じようなことわざで
    「知らぬは亭主ばかりなり」というのがある。
    これも同じような意味で
    「女房の浮気をみんなが知っているのに、知らないのは当の亭主ばかり」
    という意味で、同じく憐れみやからかいに用いる。
     
    知らないほうが幸せだという言葉は基本的にはない。
    必要なかったのだと思う。
    「知らぬが仏」の解釈が変わったのは
    近代政治になったからこそだと思う。
    何より、教育が行き届いて、一般人が政治、経済に興味を持った結果だと思う。
     
    人は知識欲を持つと、もっともっと知りたくなる。
    書物をあさり、読み耽り、造詣を深める。
    政治だろうが経済だろうが興味を持ったものへは、一種の執着が生まれる。
    学者、ジャーナリストなどなど。
    しかしいつの日からか、人は全てを知ることが許されなくなった。
    人はマスメディアから発信される情報のみしか与えられなくなった。
    そう、僕らは与えられた範囲でしか物事を把握できなくなっている。
     
    僕らがマスメディアを通して見ている世界。
    それが100%真実ではないと知るべきだ。
    マスメディアに伝わる情報がすでに一握りの情報に制約され、
    さらに制約されたものを僕らは受けている。
     
    アメリカ、ロシア、中国、日本、どこでもそうだ。
    「本当のこと」は誰も話さない。
    話せばパニックになる。戦争になる。
    全ての人々が不幸になる。
    知ることで地獄となる。
     
    されど
    知らぬもまた地獄だと知るべきだ。
    今もチベットは中国による侵略が続き、
    ロシアでは今、暗殺が表沙汰になり、世界が動揺している。
    アメリカはイラクから手が引けず、かえって混乱をひどくしている。
     
    日本は安泰だ。
    否、すでに極めて危険な状況下にある。
    北朝鮮と一触即発状態にあると考えたほうがいい。
    この国の国防能力は、アメリカあってのものだ。
    北朝鮮のことを馬鹿にしていれば、確実に痛い目にあう。
    無論、戦争を避けるために、話し合いの場が作られるわけだが
    現実的に、和解できるとは言いがたい。
    これはもちろん空想である。
    与えられた情報から推察したに過ぎない。
     
    現実を知ったとき
    僕らは地獄を見るのかもしれない。
    今、何も知らない地獄以上のものを。
    世界平和とは、人類が絶滅して、なし得る業かもしれない。
    December 02

    恋愛談義

    もう早いものだ。師走になった。
    小説の締め切りは年内。
    もちろん、自分で決めた締め切りだけど、だらだらとしないために、
    いわば戒めとして、締め切りを作った。
    ブログを書く時間も、減るだろう。
     
    今、自分は恋をしていない。
    もう長いこと、恋はしていない。
    2年くらいはしていないと思う。
    なぜなら、僕には愛する人がいるから。愛してくれる人がいるから。
    だから、恋をする必要性がない。
    ただ、恋というのは、通り魔みたいなもので、
    ある種、避けられないものだとも思っている。
    今、互いに愛し合っている状況が、かれこれ丸5年。
    その時間の中で、一度だけ、恋をした。
    悩んだ。
    自分の表面、相手の表面しか、知らないし分からない人と、
    自分の底辺、相手の底辺まで、分かっている人。
    下賎な言い方をすれば、
    「どちらが自分にとって有意義な存在か」
    という感覚だった。
    結果的には、今、横で眠っている、愛してくれている人を選んだ。
     
    僕には友人が4人いる。4人しかいないとも言える。
    みんな、親友だ。
    「100人のメル友より、一人の親友」
    というのが、自分の友人としての定義。
    長いこと会っていなくても、会った瞬間、その空白が埋まる存在。
    互いの趣味について、考えについて、語り合える存在。
    必然的に女性は必要なくなる。友人としては。
    僕にとって、女性とは、愛する人か、顔見知りかの二択しかない。
    従って、僕は恋をするというより、落ちるとか、襲われるという表現が正しくなる。
    要するに一目惚れが多い。
     
    人間というのは、複雑怪奇で、理解するのが難しい。
    上っ面だけで生きている人もいれば、
    全てをさらけ出して生きている人もいる。
    ただ、たいてい、女性は、内面をかなり深い部分にしまっている。
    だから女性の外見というのは、正直、あまり興味が無い。
    性格だって、偽れるわけで、あまり信用ならない。
    こんな風に書いていると、まるで女性不信に思われそうだけど、別にそういうわけじゃない。
    ただ、人よりも、視点が違うというか、深く見るクセがあるだけだ。
     
    僕自身、人に対しては、かなり高い壁を作る。
    外弁慶とでも言うべきかな。
    女性に対しては、さらに高い壁を築いて、自分を演じていたりする。
    仕事場で僕は、「仕事場の自分」を演じているわけだ。
    女性というのも、演じていると思う。
    かわいい、セクシー、お姉さん、ぶりっこ、クールetc・・・
    挙げればきりがない。
    人間は、よりよく見られたいから、自分を演じたりするわけだけれど、
    女性のほうが、その傾向は強いと思う。
    つまり、普段、何気なく接している女性というのは、ある種、表面的な、ごく一部でしかない。
    男性は本能的にそれを察して、その人の本質を見出そうとする。
    もちろん、簡単には見えないから、あれやこれやと知恵を絞るわけである。
    そうやってようやく見えた本質が自分の想像と裏腹だとご縁が無かった状態になる。
    もしくは、愛し合う状態になれる。
     
    演じている、と表現したけれど、終始、演じている人なんかいない。
    時々、本質が見え隠れする。
    僕はその一瞬を垣間見たとき、恋に落ちる。
    もしくは興味を失う。
     
    僕は恋に落ちると厄介な性格だ。
    とにかく相手のことが知りたくなる。
    趣味、好きなもの、好きなこと、性格、とにかく全て。
    そして押しまくる。猪突猛進である。
    周りの迷惑顧みず、相手の気持ちもいざ知らずである。
    たぶん、いい迷惑だと我ながら思う。
     
    僕が告白をするとき、
    「貴女の事が好きだから、付き合ってください。」
    とは言わない。
    ただ
    「貴女の事が好きです。」
    としか言わない。
    どうも「付き合ってください」というのが、厚かましく感じるからだ。
    好きになるのは勝手だけれど、付き合うとなると、相手の感情も必要になるからだ。
    だから僕は自分の気持ちを伝えることしかしない。
    その時に、同じ言葉が返ってくれば、幸せ。
    それくらいにしか思わない。
    あとは「ありがとう」でも「ごめんなさい」でも「は?」でも何でもいい。
    自分が好きという気持ちを伝えたら、それで落ち着くから。自分勝手だけど。
    もちろん、「付き合えたらいいな」とは思っている。
    けれど、決定権は相手にあると僕は思っているから、自分からは、あまり口に出さない。
    たぶん、確信が欲しいんだと思う。
    フラれる確信でも、付き合える確信でもいいから、とにかく確信が欲しいんだと思う。
    臆病だから。
    中途半端が嫌いだから。
    「お友達でいてほしい。」
    「このままの関係でいいんじゃない?」
    お断りである。
    このままの関係がイヤだから、辛いから、気持ちを伝えるのに、
    その結果が、現状維持だったら、それほど面倒なものはない。
    だったら、自分から身を引く。
    考える時間が欲しくて、そういう表現をする人もいるようだけど、
    もしそうならば、そう言えばいい。
    「考える時間をちょうだい」
     
    愛し合って丸5年も経つと、いつまでも一緒にいる秘訣みたいなことを聞かれたりする。
    そんなものはないのに。
    ただ僕は、自分の考え、行動、基準、価値観といったあらゆることを彼女に伝えた。
    そして、彼女にも同じ事をするように伝えた。
    だからまぁあえて言うなら
    「思ったことは必ず言う。不満はすぐに改善するように言う。ケンカになったら逃げずに話し合う。」
    という感じ。
    これだけで、ずっと一緒にいるから、あとは個々の性格次第。
    よく、ケンカをしないカップルというのを耳にするけれど、
    その境地に至るまではたぶん、4年はかかると思う。
    そうじゃなければ、お互い、不満やストレスを抱え込んで、表面に出していないだけだと思う。
    要するに、ケンカをしないのではなくて、ケンカを避けているだけ。
    だから、結局、ケンカになったとき、お互いの口から、とんでもない言葉が飛び出たりする。
    本音が出るだけなんだけど。
    相手がカッとなったときこそ、自分は冷静にならなくちゃいけない。
    自分もカッとなったら、収まるものも収まらない。
    難しいかもしれないけれど、もし、相手がカッとなったら、
    冷静に、相手の要求なり、不満を聞いてあげることだと思う。
    そして自分を省みる。
    改善すべきところは改善する。譲れない部分は、譲れない理由をきちんと話す。
    それでも収まらなければ、それはご縁が無かったと諦める。
    「いかに相手の気持ちを理解したいか?」
    そこが大切なんだとおもう。
    そして不満を言ってくれるうちが花だと思った方がいい。
    「最近、不満言わないなぁ・・・」
    なんて思っていると、突然、別れがやってきたりするものだ。
     
    後悔のない恋愛をしたければ、全力を注ぐべきだ。
    全力で相手にぶつかって、砕け散るか、華になるか。
    二つに一つしかない。絶対に。
    そして、「恋」と「愛」は別次元のことだと、きちんと理解しなければならない。
    僕にとって「恋」は動詞である。
    恋はするもの。恋する、落ちる、襲われる。
    独りでも成立する。だって相手の気持ちは関係ないから。
    心の奥底でも恋はできる。
    「愛」は形容詞かな。
    愛し合っている状態を表すわけだから。
    愛している、愛されている。僕には状態に思える。
    そして絶対に独りでは成立しない。
    愛し合うとは言うけれど、恋しあうとは言わない。
    気づいたら、相手のことが何よりも大切で、かけがえのない存在になっている。
    それが「愛してる」という状態。
    だから、僕にとって「愛」は形容詞。「恋」は動詞なんだと思う。
     
    「心」が「変わる」と「恋」になる。
    その「恋」する「心」を「受ける」と「愛」になる。
    すべては心。
    人間の本質があってこその「愛」
    喜怒哀楽、全てを共にしてこそ、
    愛し合える。
    そして幸せに近づける。
     
    ただ、人生は恋愛だけじゃない。
    他にも情熱を注ぐべきものはたくさんある。
    自分の本質、「軸」となるべきものが
    もし「恋愛」なら、あなたの人生は、とてつもなく、つまらないものになる。
    恋愛至上主義なんて、この世には存在しない。
    メディアが作り上げた戯言に過ぎない。
    それだけは伝えたい。
     
    November 20

    無責任

    PS3が発売された。
    誰が買うんだろうと思っていたら、意外と売れているらしい。
    といっても中国人ブローカーや、転売目的の人が多いらしいけど。
    SONYは潰れるんじゃないかなぁと思う。
    PS3はブルーレイDVD規格。
    東芝はHDDVD規格。
    こういうのが一番困る。
    VHSとβの争いと同じ。
    エンドユーザーのことを無視して、自分たちの技術を売ることしか頭に無い。
    どうせPS3は来年の今頃か、もしかしたら夏くらいには
    今より価格が下がる。PS2の時みたいに。
    今、買うのは時期尚早というもの。
    ちなみに僕はPSXを持っているのだけれど、
    これはいわゆるコンパチである。コンバーチブル。
    HDレコーダー、PS2、DVDプレーヤーの三すくみ。
    僕の部屋にはビデオが無かったのと、PS2が壊れたので
    PSXを購入した。
    僕はコンパチを人には薦めない。
    なぜなら、どこか一ヶ所が故障したとき、
    本体を丸ごと修理に出すため、ものすごく不便になってしまうからだ。
    テレビデオとかが一番わかりやすい。
    ビデオだけが壊れているのに、テレビごと持っていかれるので、
    直るまでテレビなし。当然、お金もかかる。
    だから人には薦めない。
    なのに買ってしまった・・・。
    案の定、壊れた。しかも保証が切れた直後に壊れてくれた。
    おかげでゲームはできない、DVDは見れない、録画もできない、
    そして馬鹿みたいに高い修理代金を請求される。
    今度壊れたら、PS2を買って、PSXはあくまでDVD再生と録画のみにするつもりだ。
    PS2の寿命は2~3年。それくらいでディスクを読み込まなくなる。
    実に繊細なゲーム機である。
    ファミコンやメガドライブ、スーパーファミコンにドリームキャストは未だに現役かつ、故障知らず。
    SONYの商品は買わない。壊れるというイメージがもう定着した。
    こういういい加減で無責任な会社が世の中に亡者の如く群れていると思うだけで腹が立つ。
    どうするんだろうね、DVDの新規格がHDDVDになったら。
    PS3はただのゲーム機。高すぎますよ。
    誤作動のクレーム対処が、オンラインっていうのも無責任。
    ゲームをやる人が、みんなオンラインにしてると思ってるのか?
    僕はオンラインでゲームはやらないよ。
    さぁ、SONY崩壊を楽しみにしようか。
    価格破壊が起きるかもしれない。
    ま、せいぜい今は笑ってりゃいいさ。
     
    November 15

    死ぬな

    レミングを知っているだろうか?
    ネズミの一種で、体長が15cmくらいになる。
    「ネズミ算」という言葉のとおり、このレミングもまた増える。
    増えに増えて、限界数になると、大群で一直線に移動を開始する。
    その先に湖があろうと、河があろうと、海があろうと、
    断崖絶壁であろうと、進む。
    当然、死んでしまう。
    にも関わらず、この習性は変わらない。
     
    最近、いじめ問題が増えている。
    増殖しつづけている。
    そして自ら命を絶つ人間が日に日に増えている。
    まるでレミングのようだ。
     
    今、いじめられている人へ。
    死ぬな。
    「死んだら楽になる」とか
    「死んだほうがマシだ」なんて思わないでくれ。
    僕も同じことを思った。行動に移しかけた。
    僕もいじめられた。
    そしていじめたこともある。
     
    それから十年以上の年月が経った。
    生きていたよかったと思う。
    恋人がいるとか、趣味があるとか、夢があるとか
    そういうことじゃないんだ。生きている実感は。
    たまに見上げた夜空が綺麗だったとか
    そんな日常に気づくと実感が湧くんだ。
    僕だってこんな考え方になるなんて思っていなかった。
    恋人とか、夢、趣味、確かにいいものだよ。
    けど人生の全てではないから。
     
    自分があっての夢だよ。
    自分があっての趣味だよ。
    自分がいるから恋人に出逢えるんだよ。
    全ては、生きているから、できることなんだ。
    「自分が生きている」
    ということが全ての前提なんだ。
    だから死ぬな。死んじゃだめだ。
     
    貴方は日本の未来なんだ。
    貴方は宝物。
    ちゃんと話をするんだ。
    宝物を捨てる人はいないよ。
    「艱難汝を玉にする」
    人は困難を、苦労を乗り越えて、輝くことが出来る。
    一人で乗り越えなくていいよ。
    一人で抱えないでいいよ。
    みんなで磨いて輝かせます。
     
    少なくとも
    俺は助けるから。
     
    ほかにも同じ考えの人はいるから。
    大丈夫。
    さぁ、心を開いて。
    どうか、その希望の灯火を消さないで。

    甘い誘惑

    君をゆっくり眺めてみる
    綺麗な形をゆっくりと眺めてみる。
    そっと触れてみる。
    思っていたよりも柔らかい。
     
    君をゆっくりと口に含んでみる。
    少しつるりとして
    少し硬くなった君。
     
    ゆっくりと舌の上で転がしてみる。
    ほんのりと甘い。
    そのまましゃぶってみる。
    硬くなった君を
    そのまましゃぶり続ける。
     
    僕はおもむろに
    手元にあった液体を飲んでみた。
    むせかえる。
    けれどそのあとに広がる甘み。
    少し刺激が強い。
     
    僕は檸檬をかじってみた。
    いつもなら
    食べることも
    ままならない檸檬が甘い。
    官能的な甘さ。
    いつまでも
    君をしゃぶっていたい。
     
    ミラクルフルーツ。
    パねぇな。こりゃ。
    癖になりそうだ。
    一粒80円。
    わずかな時間だけど
    不思議な味覚になってしまうこの果実。
    お試しあ~れ!
    November 12

    天高く

    昔、富士山に登った。
    富士山から見た景色は
    どこまでも美しく、広がる樹海、雲海。
    そして果てしない空。
    今、僕は日本で一番高い場所にいる。
    そんなことを思った。
     
    あれから10年少し。
    今、僕の前には高い山が見える。
    上を見ても、雲に隠れていて、頂上が見えない。
    富士山くらいなのか、
    はたまたエベレストくらいなのか、
    もしかしたら、成層圏近くまであるかもしれない。
    いや、頂上なんてないのかもしれない。
     
    だからこそ
    登りたい。
    どこまでも登りたい。
    頂上がどこなのか探すために
    僕は登る。
    文学の山を。
    November 05

    伏龍

    布袋寅泰はソロデビューの時、
    すでに世界を見ていた。
    ファーストアルバム「ギタリズム」は
    イギリスでも発売された。
    しかし売れなかった。
    壁は高かった。
     
    今、布袋寅泰は
    日本を飛び出し、
    世界へ飛び立った。
    一度は挫折した世界の壁。
    その壁をぶち壊した。
     
    hideはファーストソロアルバム
    「HideYourFace」にて
    T・Mスティーブンスなどの海外アーティストと
    アルバムを製作。
    インスト、コア、デジタルと様々な音楽を取り込んだ。
    それはセカンドアルバム「PSYENCE」で輝きを増す。
    ファンク、デジタル、コア、ブルース。
    あらゆる音楽を自分のものにしていった。
    そして「zilch」が結成された。
    ロシア語でゼロの意。
    つまり今までの自分をゼロに戻し、新しいスタイルを確立する。
    そんな宣言だと俺は思う。
    「zilch」は名盤だ。
    すでに「邦楽」という壁を越えている。
    世界が見えている。
    惜しむらくは
    アクシデントでこの世を去ってしまったこと。
    世界が気づく前に、
    hideはこの世を去った。
     
    ミハエル・シューマッハ
    ドイツの片田舎から生まれた「紅き皇帝」
    計算的、冷徹な走りから「ターミネーター」の異名を持つ男。
    なぜミハエルが計算的で冷徹な走りをしたのか。
    それは目の前に「音速の貴公子」こと
    「アイルトン・セナ」がいたからだ。
    セナには天賦がある。
    そこに努力がプラスされる。
    大胆、度胸、天運。
    すべてがセナにはあった。
    そのセナを抜くには
    冷徹になるしかなかった。
    背中を追いながら、いつか追い抜くことを夢見ていた。
    しかし
    突如、セナはサン・マリノGPでこの世を去った。
    ミハエルの目の前で。
    突如として、王者不在となったF1。
    ミハエルの時代来たり。
    しかし、ライバルのいない、後継のいないF1。
    依然として、スタイルを変えることはできなかった。
    それはミハエルが王者になったからだ。
    自分が追うものが消え、自分を追うものが現れない。
    F1界を自分が牽引していく。
    そんな想いから、いつまでも完璧な走りだった。
    しかし、ようやく、背中を追うものが現れた。
    フェルナンド・アロンソ。
    スペインの片田舎から現れた「蒼い星」
    ミハエルが敗れた。
    長年のライバルだったミカ・ハッキネンならともかく、
    新人パイロットに負けた。
    ミハエルの走りが変わった。
    貪欲に勝利を求め、時に感情的になる。
    今までのミハエルではない。
    己の秘めていた力を最大限に引き出さねば
    勝てない相手が現れた。
    フェルナンド・アロンソ
    彼にもまた天賦があった。
    王座奪還。
    そしてミハエルは引退した。
    悲壮感はなかった。
    むしろ安心感が見えた。
    自分が今まで引っ張ってきたF1界。
    安心して次の世代へとバトンを渡せるときが来たからだろう。
    ミハエル・シューマッハは生ける伝説となった。
     
    松田優作
    「流星」
    一言で表すなら、俺はこう表す。
    俺たちが、夜空に輝く無数の星なら
    松田優作は、一瞬、どの星よりも輝いて、すぐに消える。
    しかしそれを見た人の記憶にはいつまでも残る。
    環境が悪いなら自分で変える。
    条件が悪いなら意地でも変える。
    自分の哲学を貫き通す。
    枠に収まっている自分を良しとしない。
    枠がどこまで広がるのか、挑戦し続けた男。
    そして自分のスタイルに最も相応しい場所を見つけた。
    そのとき、もう目の前には大気圏が見えていた。
    だが退かなかった。いや、退く場所も意味も無かった。
    躊躇わず、思い切り飛び込んで
    派手に燃えるしかなかった。
    残念ながら俺は幼くて、松田優作の生き様を
    オンタイムではほとんど見ていない。
    だが
    「BLACK RAIN」を見れば分かる。
    「どうだ、見てみろ!これが俺のやりたかったことだ!」
    松田優作の「眼」が語っていた。
    命を燃やした証だ。
    見たことのない「流星」だ。
    もう二度と見れない。
     
    Rockは音楽ではない。
    少なくとも俺にとってRockとは生き方、生き様である。
    しばしば刹那的な生き方と思われがちだが、
    否。
    マーク・ボラン、ジミ・ヘンドリックスなどの
    カリスマ的存在が、たまたま刹那的生き方になったからだ。
    彼らもまた、流星なのだ。
    だから尾崎豊はRockではない。
    ドラッグでハイになって書いた曲を
    ドラッグでハイになった状態で歌っている。
    そんなものはカスだ。
    彼は自身が罵っていた大人以下だ。
    そんな奴が十代のふりをして、十代の気持ちを歌ったところで
    誰が信用するものか。
    尾崎豊はRockではない。
    流星でもない。
    因果応報である。
    覚せい剤の予防キャンペーンに使うといい。
    「こうなりたいですか?」
    遺体の写真と一緒にな。
     
    自分の国から世界を目指した人たちは
    決心したときから世界を目指している。
    気づいたら世界中で有名になっていた人なんかいない。
    自分の目標を雲より高く持っていただけだ。
    そしてその日が来るまで
    己を切磋琢磨し、伏していただけだ。
    時が来れば
    すぐに天へと昇り、龍と化す。
     
    俺と同じように夢を持っている人。
    ちっちゃい夢は持つなよ。
    夢に規制はないんだ。
    その手に
    ギターを、ボールを、ペンを、グラブを、拳を
    己の分身をしっかり握り締めて
    磨いて磨いて、磨きまくって
    天高く、昇っていこう。
    夢は叶う。
    叶える努力、していれば。
    たくさん証明してくれる人がいる。
    さ、俺は自分の夢を叶える努力を始めるよ。
    またな。
    November 02

    抗え

    万死を持って償う時代ではない。
    自刃をして幕を引く時代ではない。
     
    責任をとるならば、生涯を持って償うべし。
    自刃をするまで追い詰められたなら
    その刃は己ではなく
    憎き相手に向ければいい。
     
    極限まで追い詰められて
    死を選ぶなら
    もう失うものはないのだから
    死ぬ勇気があるなら
    抗え。
     
    いじめは戦だ。
    いじめている者には
    刃を抜く勇気はない。
    刃すら持ってはいない。
    だから言葉をもって刃とする。
    言葉の刃に抗え。
    力を持って言葉を封じろ。
    心配は要らない。
    己に降りかかった災厄を思い出せ。
    そしてやられたことを洗いざらい暴いてしまえ。
    勇気を出せ。
    死ぬ勇気があればできる。
    名前を出せ。
    世間にさらせ。
    そいつらに報いを与えろ。
    償わせろ。
    教師も友人も信用できないなら
    社会を信用しろ。
    必ず、救ってくれる人がいる。
    教師や教祖は信用するな。
     
    抗え。
    泣き寝入りするな。
    抗え。
    己のアイデンティティーを犯した奴らを
    踏み台にして未来へリスタートするんだ。
     
    さぁ、抗え。
     
    October 30

    眠れぬ夜のアルファベット

    眠れない夜は
    色々なことを思い出す。
    昔の恋人
    昔の友人
    昔の出来事
    過去ばかりが頭の中を駆け巡る
     
    あの娘は今、幸せだろうか。
    別れたあの娘は幸せになっただろうか。
    人と人とはスタートする場所が違う。
    点と点でしかない。
    そこから互いに線を引いて人生が始まる。
    理想の形は「Y」をさかさまにした形。
    スタートが違っても、いずれ交わって一つの線になる。
     
    別れた恋人は「X」
    スタートも違い、一瞬だけ交わって
    そのままどんどん離れていく。
     
    けどその一瞬には
    夜空の花火のような刹那的美しさがある。
    だからきっと心のどこかに残っている。
    そして幸せを祈ってしまう。
     
    「V」の娘もいた。
    スタートは同じだったのに
    気づいたら、どんどん離れていってしまった。
     
    もし僕が彼女たちに会う機会があっても
    もう僕には何の感慨も湧かない。
    もう線が交わることはないから。
     
    懐かしく思うことこそあれ
    もう一度、点を求めようとは思わない。
    もう未来永劫、交わることはできない。
     
    僕は今、「O」がある。
    点は無い。
    深く交わって
    「Y」をさかさまにした形より
    理想的な形になった。
    「O」
    今、横で安らかな寝息を立てている。
     
    だからもし
    僕を思い出したら
    幸せでやってるから安心してほしい。
     
    君は君自身の幸せを
    アルファベットを探して欲しい。
     
    僕と関わった全ての人へ。
    October 29

    愚者

    恋がしたければ
    今すぐだってできる
    固定観念
    既成概念
    まとめてとっぱらって
    自然体の自分をさらせ
     
    もっとも
    海老だか蟹だかの
    メイクから
    外見まで
    ステレオタイプに
    なっちまってる
    愚者にはわからないだろうけどな
     
    不安なら
    鏡をのぞいてみればいい
    映ってるだろ
     
    お前のことだよ
    October 26

    Rockが元気ない

    初ブログ。
    小説家を目指しているから
    毎日とは言わないけれど
    いろいろなことを考えて、それを文字にしています。
    小説やエッセイを書く上で大事なのは音楽。
    無音で書くこともあるけれど、やっぱり音楽がほしい。
    モノを書いている時は、インストが一番。クラシックとか。
    でももともとは僕はギタリストを目指してた。
    だからペンが進まないときはRockに限る。
    けど最近、これってRockに出逢わない。
    アメリカでもRockは元気ないし、たまに出てきても、なんかしっくりこない。
    日本音楽はもっと悲惨。
    元気ないっていうより、存在してないもの。
     
    結局、僕は布袋寅泰さんやhideちゃん、マッドカプセルマーケッツなんかを聴いてる。
    布袋さんは僕が12歳のときに出逢ったから、もう人生の半分、布袋さんの音楽を聴いてる。
    ギターを持ったきっかけも、布袋さん。
    もっとも僕はプロにはなれなかったけど。
     
    今は作家を目指して、日々勉強。
    あれほど勉強嫌いだった僕が、自主的に勉強してるなんて
    ちょっと気持ち悪いかも。
     
    さて、これを誰が読んでくれるのやら。
    先は長いね。